宋名臣言行録 / 前集巻八・龎籍
公自鄆徙并過京師謁上是時上新用文富為相自以為得人謂公曰朕新用二相如何公曰二臣甚副天下之望上曰誠如卿言文彦愽猶多私至於富弼萬口同詞皆云賢相也公曰彦愽臣頃與之同在中書詳知其所為實無所私但惡之者毁之耳况前者被謗而出今當愈畏慎矣富弼頃為樞宻副使未執大政朝士大夫未有與之為怨者故交口譽之冀其進用而巳有所利焉若富弼以陛下之爵祿樹私恩則非忠臣何足賢也若一以公議槩之則向之譽者今轉而為謗矣此陛下所宜深察也且陛下既知二臣之賢而用之則當信之堅任之乆然後可以責成功若以一人之言進之又以一人之言疑之臣恐太平未易致也上曰卿言是也
新字:公自鄆徙并過京師謁上是時上新用文富為相自以為得人謂公曰朕新用二相如何公曰二臣甚副天下之望上曰誠如卿言文彦愽猶多私至於富弼万口同詞皆云賢相也公曰彦愽臣頃与之同在中書詳知其所為実無所私但悪之者毀之耳況前者被謗而出今当愈畏慎矣富弼頃為枢密副使未執大政朝士大夫未有与之為怨者故交口誉之冀其進用而巳有所利焉若富弼以陛下之爵禄樹私恩則非忠臣何足賢也若一以公議槩之則向之誉者今転而為謗矣此陛下所宜深察也且陛下既知二臣之賢而用之則当信之堅任之久然後可以責成功若以一人之言進之又以一人之言疑之臣恐太平未易致也上曰卿言是也
書き下し
公、鄆より并に徙り、京師を過ぎて上に謁す。是の時、上、新たに文・富を用いて相と為し、自ら以て人を得たりと為す。公に謂いて曰く、朕、新たに二相を用う。如何と。公曰く、二臣は甚だ天下の望に副うと。上曰く、誠に卿の言の如し。文彦愽は猶お私多し。富弼に至りては、萬口詞を同じくして、皆な賢相なりと云うと。公曰く、彦愽は臣、頃ろ之と同に中書に在り。詳らかに其の為す所を知る。實に私する所無し。但だ之を惡む者、之を毁るのみ。况んや前者、謗を被りて出づ。今、當に愈々畏慎すべし。富弼は頃ろ樞宻副使と為り、未だ大政を執らず。朝士大夫、未だ之と怨みを為す者有らず。故に交々口に之を譽め、其の進用を冀いて、已に利する所有り。若し富弼、陛下の爵祿を以て私恩を樹てば、則ち忠臣に非ず。何ぞ賢とするに足らんや。若し一に公議を以て之を槩すれば、則ち向の譽むる者、今、轉じて謗と為らん。此れ陛下の宜しく深く察すべき所なり。且つ陛下、既に二臣の賢を知りて之を用う。則ち當に之を信ずること堅く、之に任ずること乆しくして、然る後に以て成功を責む可し。若し一人の言を以て之を進め、又た一人の言を以て之を疑わば、臣、恐らくは太平、致し易からざらんと。上曰く、卿の言、是なりと。
現代語訳
公は鄆州から并州に移り、都を通って帝に拝謁した。このとき、帝は新たに文彦博と富弼を宰相に用いて、自分で人を得たと思っていた。公に言った。「私は新たに二人の宰相を用いた。どうか」。公は言った。「二人ともたいそう天下の期待に沿っております」。帝は言った。「まことに卿の言うとおりだ。文彦博にはまだ私心が多い。富弼に至っては、万人が口をそろえて、みな賢い宰相だと言っている」。公は言った。「文彦博とは、私は先ごろ一緒に中書省におりました。その為すところを詳しく知っております。まことに私心はありません。ただ憎む者がそしっているだけです。まして以前、そしられて都を出ました。いまはいよいよ慎んでいるはずです。富弼は先ごろ枢密副使であって、まだ大政を執っていません。朝廷の士大夫で、まだ彼と怨みを結んだ者がおりません。だから口をそろえて褒め、その登用を願って、自分に利があるのです。もし富弼が陛下の爵と禄で私的な恩を立てるなら、忠臣ではありません。どうして賢いといえましょう。もしひたすら公の議によってそれを測るなら、以前に褒めていた者が、いまは転じてそしることになります。これは陛下が深く見分けるべきところです。そのうえ陛下は二人の賢さを知って用いられた。それなら堅く信じ、長く任せて、そのうえで成果を求めるべきです。もし一人の言葉で登用し、また一人の言葉で疑うなら、太平は成りにくいのではないかと恐れます」。帝は言った。「卿の言葉は正しい」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・人事は就ち是れ天命人事は就ち是れ天命なり。
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『晏子春秋』諫上・景公愛嬖妾隨其所欲晏子諫翟王子羨景公に臣たり、重駕を以てす。公之を観て説ばず。嬖人嬰子之を観んと欲す。公曰く、「晏子の寝病するに及ばん」と。囿中の台上に居りて以て之を観る。嬰子之を説び、因りて之が為に請いて曰く、「厚く之に禄せよ」と。公許諾す。晏子病を起こして公に見ゆ。公曰く、「翟王子羨の駕、寡人甚だ之を説ぶ。請う之をして示さしめんか」と。晏子曰く、「駕御の事、臣は職として焉に無し」と。公曰く、「寡人一たび之を楽しみ、是れ之に禄するに万鐘を以てせんと欲す、其れ足るか」と。対えて曰く、「昔、衛士東野の駕するや、公之を説び、嬰子説ばず、公因りて説ばず、遂に観ず。今、翟王子羨の駕するや、公説ばず、嬰子説び、公因りて之を説ぶ。請を為し、公之を許す、則ち是れ婦人の制を為すなり。且つ人を治むるを楽しまず、馬を治むるを楽しみ、賢人に厚く禄せず、禦夫に厚く禄す。昔者、先君桓公の地は今より狭きに、法治を修め、政教を広め、以て諸侯に霸たり。今君は、一諸侯も能く親しむ無く、歳凶にして年饑え、道途の死者相い望む。君は此れを憂恥せず、惟だ耳目の楽しみを図り、先君の功烈を修めず、惟だ駕御の伎を飾る、則ち公の民を顧みずして国を忘るること甚だしきなり。
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『墨子』尚同中今、王公大人の刑政を為すは則ち此を舉ぐ。政、以て便辟を屬し、父兄故舊に宗りて、以て左右と為し、置きて以て正長と為す。民、上の正長を置くの、正しく以て民を治むるに非ざるを知る。是を以て皆な比周隠匿して、肯えて其の上に尚同すること莫し。是の故に上下、義を同じくせず。若し茍くも上下、義を同じくせざれば、賞譽も以て善を勸むるに足らずして、刑罰も以て暴を沮むるに足らず。
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『韓非子』説疑第四十四従ひて之を罰す。是を以て賢良遂に進みて姦邪並びに退く、故に一挙して能く諸侯を服す。其の記に在りて曰く、堯に丹朱有り、而して舜に商均有り、啓に五観有り、商に太甲有り、武王に管・蔡有り。五王の誅する所の者は、皆父兄子弟の親なり、而して殺して其の身を亡ぼし、其の家を残破する所の者は何ぞや。其の国を害し民を傷つけ法類を敗るを以てなり。其の挙ぐる所を観れば、或いは山林藪沢巌穴の間に在り、或いは囹圄緤紲纏索の中に在り、或いは割烹芻牧飯牛の事に在り。然れども明主は其の卑賤を羞ぢざるなり、其の能の以て法を明らかにし、国を便にし民を利すべきを以て、従ひて之を挙げ、身安く名尊し。乱主は則ち然らず、
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『春秋左氏伝』僖公二十七年 蒍賈、賀さず二十七年春、杞の桓公來朝す。夷禮を用ゐる、故に「子」と曰ふ。公杞を卑しむ、杞共ならざればなり。夏、齊の孝公卒す。齊の怨み有れども、喪紀を廢せず、禮なり。秋、杞に入る、無禮を責むるなり。楚子將に宋を圍まんとし、子文をして兵を睽に治めしむ。終朝にして畢り、一人をも戮せず。子玉復た兵を蒍に治む。終日にして畢り、七人を鞭ち、三人の耳を貫く。國老皆子文を賀す、子文之に酒を飲ましむ。蒍賈尚ほ幼し、後れて至り、賀せず。子文之を問ふ。對へて曰く、「賀する所を知らず。子の政を子玉に傳ふるや、曰く、『以て國を靖んずるなり』と。諸を內に靖んじて諸を外に敗らば、獲る所幾何ぞ。子玉の敗るるは、子の舉なり。舉げて以て國を敗らば、將た何をか賀せん。子玉は剛にして無禮、以て民を治むべからず。三百乘を過ぎば、其れ以て入る能はざらん。苟も入りて賀すとも、何の後るることか之れ有らん」と。
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『韓非子』外儲説右下第三十五是に於て燕王因りて国を挙げて之に属す、子之大いに重し。一に曰く、潘寿は、隠者なり。燕人をして之を聘せしむ。潘寿燕王に見えて曰く、「臣子之の益の如くならんことを恐るるなり」と。王曰く、「何の益ぞや」と。対へて曰く、「古者禹死し、将に天下を益に伝へんとす、啓の人因りて相与に益を攻めて啓を立つ。今王子之を信愛し、将に国を子之に伝へんとす、太子の人尽く印を懐き、子之の人為る者一人の朝廷に在る者無し。王不幸にして羣臣を弃てなば、則ち子之も亦益ならん」と。王因りて吏の璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之大いに重し。夫れ人主の鏡照とする所以の者は、諸侯の士徒なり、今諸侯の士徒は皆私門の党なり。人主の自ら浅娋する所以の者は、巌穴の士徒なり、今巌穴の士徒は皆私門の舎人なり。是れ何ぞや。奪褫の資子之に在ればなり。故に呉章曰く、「人主は佯りて人を憎愛せず。佯りて人を愛すれば、復た憎むを得ざるなり。佯りて人を憎めば、復た愛するを得ざるなり」と。一に曰く、燕王国を子之に伝へんと欲するや、之を潘寿に問ふ、対へて曰く、「禹益を愛して天下を益に任じ、已にして啓の人を以て吏と為す。老ゆるに及びて、啓を以て天下に任ずるに足らずと為す、故に天下を益に伝ふ、而して勢重尽く啓に在るなり。已にして啓友党と益を攻めて之が天下を奪ふ、是れ禹名は天下を益に伝へて、実は啓をして自ら之を取らしむるなり。此れ禹の堯・舜に及ばざること明らかなり。今王之を子之に伝へんと欲す、而して吏太子の人に非ざる者無きなり、是れ名は之を伝へて実は太子をして自ら之を取らしむるなり」と。燕王乃ち璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之遂に重し。

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