宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
於是留所許增幣誓書復使耶律仁先及六符以其國誓書來且求為獻納公奏曰臣既以死拒之敵氣折矣可勿復許彼無能為也上從之增幣二十萬與契丹平契丹君臣至今誦其語守其約不忍敗者以其心知通好用兵利害之所在也
新字:於是留所許增幣誓書復使耶律仁先及六符以其国誓書来且求為献納公奏曰臣既以死拒之敵気折矣可勿復許彼無能為也上従之增幣二十万与契丹平契丹君臣至今誦其語守其約不忍敗者以其心知通好用兵利害之所在也
書き下し
是に於いて許す所の增幣の誓書を留め、復た耶律仁先及び六符をして其の國の誓書を以て來たらしめ、且つ獻納と爲さんことを求む。公奏して曰く、臣既に死を以て之を拒む。敵の氣折れたり。復た許す勿かる可し。彼れ能く爲す無きなりと。上之に從う。幣二十萬を增して契丹と平らぐ。契丹の君臣、今に至るまで其の語を誦し、其の約を守りて敗るに忍びざる者は、其の心、好を通ずると兵を用うるとの利害の在る所を知るを以てなり。
現代語訳
そこで許した増幣の誓書を留め置き、あらためて耶律仁先と劉六符に自国の誓書を持って来させ、そのうえで「献」「納」の字を用いるよう求めた。富弼は奏上して言った。「臣はすでに死をもってこれを拒みました。敵の気勢は折れております。二度と許してはなりません。彼らには何もできません」。天子はこれに従った。幣を二十万増して契丹と和平した。契丹の君臣が今に至るまでその言葉を口ずさみ、その約束を守って破るに忍びないのは、その心が、好を通じることと兵を用いることの利害の在り処を知っているからである。
解説
相手は場所を変えてもう一度、同じ二文字を求めてきました。富弼の判断は、状況の読みでした。**敵の気勢は折れております。二度と許してはなりません。彼らには何もできません。**押し返せる状態かどうかを、自分が現場で見た手応えで報告している。そして結びが、この長い一条の値打ちを言います。**契丹の君臣が今に至るまでその言葉を口ずさみ、その約束を守って破るに忍びない。**守らせているのは兵ではありません。**その心が、好を通じることと兵を用いることの利害の在り処を知っているから。**納得だけが、条約を長持ちさせました。
この章句が説くこと
臣既に死を以て之を拒む敵の気折れたり復た許す勿かる可し彼れ能く為す無きなり幣二十万を增して契丹と平らぐ契丹の君臣今に至るまで其の語を誦し其の約を守りて敗るに忍びざる決着和平
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼既に至るや、乃ち復た婚を求めず、專ら幣を增さんと欲す。曰く、南朝の我に遺る書は、當に獻と曰うべし。否らずんば則ち納と曰えと。公爭いて不可とす。北主曰く、南朝既に我を懼る。何ぞ此の二字を惜しまん。若し我兵を擁して南せば、悔い無きを得んやと。公曰く、本朝の皇帝は南北の民を兼愛し、鋒鏑を蹈ましむるに忍びず。故に己を屈して幣を增す。何ぞ名づけて懼ると爲さんや。若し已むを得ずして用兵に至らば、則ち南北は敵國なり。當に屈直を以て勝負と爲すべし。使臣の憂うる所に非ざるなりと。
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