宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
復曰公但見慶厯陜西鄉兵初刺手背後皆刺靣充正兵憂今復作俑爾今已降敕榜與民約永不充軍戍邉矣公曰光終不敢奉信魏公怒曰君何相輕甚邪公曰相公長在此坐可也萬一均逸偃藩他人在此因相公見成之兵遣之運粮戍邉反掌間耳魏公黙然竟不為止其後不十年義勇運粮戍邉率以為常一如公之言
新字:復曰公但見慶歴陜西郷兵初刺手背後皆刺面充正兵憂今復作俑爾今已降勅榜与民約永不充軍戍邉矣公曰光終不敢奉信魏公怒曰君何相軽甚邪公曰相公長在此坐可也万一均逸偃藩他人在此因相公見成之兵遣之運粮戍邉反掌間耳魏公黙然竟不為止其後不十年義勇運粮戍邉率以為常一如公之言
書き下し
復た曰く、公は但だ慶暦の陝西の鄉兵の初め手の背に刺し後に皆面に刺して正兵に充てらるるを見る。今復た俑を作るを憂うるのみ。今已に敕榜を降し、民と約して永く軍に充てて邊を戍らしめずと。公曰く、光は終に敢えて奉信せずと。魏公怒りて曰く、君何ぞ相い輕んずること甚だしきやと。公曰く、相公長く此の坐に在らば可なり。萬一逸に均しく藩に偃し他人此に在らば、相公の見成の兵に因りて之を遣わして糧を運び邊を戍らしむるは掌を反すの間のみと。魏公默然として竟に爲に止めず。其の後十年ならずして義勇の糧を運び邊を戍るは率ね以て常と爲り、一に公の言の如し。
現代語訳
また言った。「あなたはただ、慶暦のころ陝西の郷兵が、はじめは手の甲に刺青され、後にはみな顔に刺青されて正規兵に充てられたのを見ているだけだ。いままた同じ悪例の始まりになることを憂えているにすぎない。すでに勅の掲示を下し、民と約束して、永く軍に充てて国境を守らせることはしないと定めてある」。司馬光は言った。「光は結局、それを信じて受けることができません」。韓琦は怒って言った。「君はどうしてそこまで人を軽んじるのか」。司馬光は言った。「相公が長くこの席におられるならよいでしょう。しかし万一、閑職について地方に退かれ、別の人がここに座れば、相公が作り上げた出来合いの兵をもって、これを送り出して糧を運ばせ国境を守らせるのは、手のひらを返すあいだのことです」。韓琦は黙り込んだが、ついにそのために取りやめなかった。その後、十年とたたないうちに、義勇が糧を運び国境を守ることが、おおむね常態となった。すべて司馬光の言葉のとおりであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、

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