宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
公謂予言初及第授大理評事知絳州翼城縣未赴任有客李本者三見訪而後得見之且言本有壻為縣廵檢幸公庇之又曰本非獨奉干亦有以奉助本嘗知其邑户口衆人猾難治因出一策文字皆景跡人姓名其首姓張比公至姓張人事巳敗縣未能給正簿尉皆云某等在此各嵗餘豈無過失為此人所持幸君之來必辨之矣於是公盡得其姦狀上于州决配之邑人皆悚畏
新字:公謂予言初及第授大理評事知絳州翼城県未赴任有客李本者三見訪而後得見之且言本有壻為県廵検幸公庇之又曰本非独奉干亦有以奉助本嘗知其邑戸口衆人猾難治因出一策文字皆景跡人姓名其首姓張比公至姓張人事巳敗県未能給正簿尉皆云某等在此各歳余豈無過失為此人所持幸君之来必弁之矣於是公尽得其姦状上于州決配之邑人皆悚畏
書き下し
公予に謂いて言う、初め及第して大理評事を授かり、絳州翼城縣を知す。未だ任に赴かず。客李本なる者有り、三たび訪ねて後に之に見ゆるを得たり。且つ言う、本に壻有りて縣の巡檢と爲る。公の庇わんことを幸うと。又た曰く、本は獨り干を奉ずるのみに非ず、亦た以て奉助有りと。本嘗て其の邑の戸口衆く猾にして治め難きを知り、因りて一策の文字を出す。皆景跡の人の姓名なり。其の首は姓張なり。公の至るに比び、姓張の人の事已に敗る。縣未だ給する能わず。正簿・尉皆云う、某等此に在ること各ミ歳餘、豈に過失無くして此の人の持する所と爲らんや。幸わくは君の來たらば必ず之を辨ぜんと。是に於いて公盡く其の姦狀を得て州に上り、之を決配す。邑人皆悚畏すと。
現代語訳
文彦博は私に語って言った。「はじめて及第して大理評事を授かり、絳州翼城県の知事となった。まだ任地に赴かないうちである。李本という客があり、三度訪ねて来て、ようやく会うことができた。そのうえで言うには、李本には娘婿がいて県の巡検を務めている、どうかお庇いいただきたい、と。また言うには、李本はただお願いするばかりでなく、こちらからもお助けするものがある、と。李本はかつて、その町の戸数が多く、したたかで治めにくいことを承知していて、そこで一枚の書き付けを出した。みな要注意人物の姓名である。その筆頭は姓が張であった。私が着任するころには、その張という者の件はすでに破綻していた。県はまだ手当てできずにいた。正の主簿と尉はみな言った。『我らはここにいることそれぞれ一年あまり、過失がないのにこの者に握られているはずがありましょうか。どうか、あなたが来られたからには、必ずこれを正していただきたい』。そこで私はことごとくその不正の実態を得て州に上申し、罪を決めて流刑にした。町の者はみな畏れかしこまった」。
解説
この章句が説くこと
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