宋名臣言行録 / 後集巻九・曾肇
上皇即位欽聖太后權同聽斷一日二府奏事簾中宣諭曰神宗在宫中嘗稱曽肇可用召還除中書舍人即日請對言治道在廣言路而已㑹日食四月朔故事當降詔求直言特命公草詔因具著所以言於上者敷告中外於是投匭者日以千數故上得盡聞天下事
新字:上皇即位欽聖太后権同聴断一日二府奏事簾中宣諭曰神宗在宫中嘗称曽肇可用召還除中書舎人即日請対言治道在広言路而已会日食四月朔故事当降詔求直言特命公草詔因具著所以言於上者敷告中外於是投匭者日以千数故上得尽聞天下事
書き下し
上皇即位し、欽聖太后權に同じく聽斷す。一日二府事を奏す。簾中より宣諭して曰く、神宗宮中に在りて嘗て曾肇は用う可しと稱せりと。召し還して中書舍人を除す。即日對を請いて言う、治道は言路を廣くするに在るのみと。㑹ミ日食四月朔に。故事、當に詔を降して直言を求むべし。特に公に命じて詔を草せしむ。因りて具さに上に言う所以の者を著し、中外に敷告す。是に於いて匭に投ずる者日に千を以て數う。故に上盡く天下の事を聞くを得たり。
現代語訳
上皇が即位し、欽聖太后が権にともに政を聴いて裁いた。ある日、中書と枢密が事を奏した。簾の中から仰せがあった。「神宗は宮中で、かつて曾肇は用いてよいと言っておられた」。召し還して中書舎人に任じた。その日のうちに拝謁を願って言った。「治める道は、言論の路を広くすることにあるだけです」。ちょうど日食が四月一日にあった。先例では詔を下して率直な言葉を求めるべきである。特に公に命じて詔を起草させた。そこで天子に申し上げた趣旨をすべて書き込み、内外に告げ知らせた。そこで意見箱に投じる者は日に千を数えた。だから天子は天下の事をことごとく聞くことができた。
解説
召し戻された当日に願い出た内容が、一つだけでした。**治める道は、言論の路を広くすることにあるだけです。**そしてすぐ機会が来ます。日食があり、先例では直言を求める詔を出すことになっていました。形だけになりがちな行事です。そこに、自分が申し上げたことを全部書き込みました。**天子に申し上げた趣旨をすべて書き込み、内外に告げ知らせた。**結果が数字で出ています。**意見箱に投じる者は日に千を数えた。**
この章句が説くこと
神宗宮中に在りて嘗て曽肇は用う可しと称せり即日対を請いて言う治道は言路を広くするに在るのみ故事当に詔を降して直言を求むべし特に公に命じて詔を草せしむ是に於いて匭に投ずる者日に千を以て数う故に上尽く天下の事を聞くを得たり言路詔
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾肇哲宗既に親政し、舊臣を追用し盡く熙豐の法を復す。數ミ公の禮を議して守る有るを稱す。公の入對するに及び、埀簾の事に及ばず、陳ぶる所は皆國家の大體なり。以謂えらく、人主は自然の聖質有りと雖も、必ず左右前後の皆其の人を得るを頼りて以て立政の本と爲す。宜しく此の時に慎んで忠信端良・博古多聞の士を選び、諸を左右に置き、以て諷議に參ぜしめ以て顧問に備うべし。夫の深く法宮の中に處り褻御の徒に親近すると、其の損益相い去ること萬萬なりと。貴近の意に忤う。故に留まるを得ず、徐州を知するを除せらる。
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