宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
安石叅政議改法理財與公意不合公稱病求去章數十上上問誰可代卿公薦彦博上黙然良久曰安石何如公亦黙然八月以使相判亳州
新字:安石叅政議改法理財与公意不合公称病求去章数十上上問誰可代卿公薦彦博上黙然良久曰安石何如公亦黙然八月以使相判亳州
書き下し
安石參政となり、法を改め財を理むるを議す。公の意と合わず。公病と稱して去るを求む。章數十上る。上、誰か卿に代わる可きを問う。公彦博を薦む。上黙然たること良や久しくして曰く、安石は何如と。公も亦た黙然たり。八月、使相を以て亳州を判す。
現代語訳
王安石が参政となり、法を改め財政を整えることを議した。富弼の考えとは合わなかった。富弼は病と称して辞去を求めた。上奏は数十度に及んだ。天子は「誰が卿に代われるか」と問うた。富弼は文彦博を推薦した。天子は長いあいだ黙っていて、こう言った。「安石はどうか」。富弼もまた黙っていた。八月、使相の資格をもって亳州の長官となった。
解説
五十五字のうち、二つの沈黙が要です。天子は推薦を聞いて、すぐには答えませんでした。**天子は長いあいだ黙っていて、こう言った。安石はどうか。**すでに心が決まっていて、それを確かめに来ています。そして返事も沈黙でした。**富弼もまた黙っていた。**反対ですと言えば、去る者の言い分になります。賛成はできない。だから黙った。前の巻で韓琦が「翰林学士なら余りある、この地位に置くのはいけない」と言ったときも、天子は答えませんでした。同じ場面が二度、別の巻に書かれています。
この章句が説くこと
安石参政となり法を改め財を理むるを議す公の意と合わず上誰か卿に代わる可きを問う上黙然たること良や久しくして曰く安石は何如公も亦た黙然たり沈黙人事
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