宋名臣言行録 / 前集巻三・向敏中
時舊相出鎮者多不以吏事為意唯公勤于政事所至著稱上曰大臣出臨四方唯敏中勤心于民事耳于是有復用之意
新字:時旧相出鎮者多不以吏事為意唯公勤于政事所至著称上曰大臣出臨四方唯敏中勤心于民事耳于是有復用之意
書き下し
時に舊相の出でて鎮する者、多くは吏事を以て意と為さず。唯だ公のみ政事に勤め、至る所に著稱す。上曰く、大臣出でて四方に臨むも、唯だ敏中のみ心を民事に勤むるのみと。是に於て復た用うるの意有り。
現代語訳
当時、宰相を退いて地方を鎮める者は、多くは実務を気にかけなかった。ただ公だけが政事に勤め、赴任した先ごとに評判が立った。帝は言った。「大臣が地方に出て一方を治めても、ただ向敏中だけが心を民の事に尽くしている」。そこでふたたび用いる意が生まれた。
解説
宰相を退いて地方に出た者が、実務を気にかけなくなるのが普通だった、と書いてある条です。その中で一人だけ、赴任先ごとに評判が立った。帝が再登用を考えたのはそれを見てのことでした。前の条の井戸の一件も、その「評判」の中身です。位が下がった場所での働きぶりのほうが、その人を測る目盛りとして正確だという記録になっています。
この章句が説くこと
旧相の出でて鎮する者多くは吏事を以て意と為さず唯だ敏中のみ心を民事に勤むるのみ至る所に著称す実務地位評判
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