宋名臣言行録 / 前集巻十・石介
介既卒夏英公言於仁宗曰介實不死北走胡矣尋有㫖編管介妻子於江淮又出中使與京東部刺史發介棺以驗虚實是時吕夷簡為京東轉運使謂中使曰若發棺空而介果北走則雖孥戮不足以為酷萬一介屍在未嘗叛去即是朝廷無故發人塜墓何以示後世邪介之死必有棺殮之人及内外親戚及㑹塟門生無慮數百至於舉柩空棺必用㐫肆之人今皆檄召至此劾問之茍無異説即皆令具軍令狀以保任之亦足以應詔也中使大以為然遂合數百狀皆結罪保證中使持以入奏仁宗亦悟竦之譛尋有㫖放介妻子還鄉而世以夷簡為長者
新字:介既卒夏英公言於仁宗曰介実不死北走胡矣尋有旨編管介妻子於江淮又出中使与京東部刺史発介棺以験虚実是時呂夷簡為京東転運使謂中使曰若発棺空而介果北走則雖孥戮不足以為酷万一介屍在未嘗叛去即是朝廷無故発人塜墓何以示後世邪介之死必有棺殮之人及内外親戚及会塟門生無慮数百至於舉柩空棺必用凶肆之人今皆檄召至此劾問之苟無異説即皆令具軍令状以保任之亦足以応詔也中使大以為然遂合数百状皆結罪保証中使持以入奏仁宗亦悟竦之譛尋有旨放介妻子還郷而世以夷簡為長者
書き下し
介既に卒するや、夏英公、仁宗に言いて曰く、介は實は死せず、北のかた胡に走れりと。尋いで㫖有りて、介の妻子を江淮に編管す。又た中使を出だして京東部刺史と、介の棺を發きて以て虚實を驗せしむ。是の時、吕夷簡、京東轉運使爲り。中使に謂いて曰く、若し棺を發きて空しくして、介果たして北に走らば、則ち孥戮すと雖も以て酷と爲すに足らず。萬一、介の屍在りて未だ嘗て叛き去らずんば、即ち是れ朝廷故無くして人の塜墓を發くなり。何を以て後世に示さんや。介の死するや、必ず棺殮の人有り。及び内外の親戚、及び塟に㑹する門生、無慮數百なり。柩を舉げ棺を空しくするに至りては、必ず㐫肆の人を用う。今皆檄して召して此に至らしめ、之を劾問し、苟しくも異説無くんば、即ち皆軍令狀を具せしめて以て之を保任せしめば、亦た以て詔に應ずるに足るなりと。中使大いに以て然りと爲す。遂に數百狀を合わせ、皆罪を結びて保證す。中使持ちて以て入奏す。仁宗も亦た竦の譛を悟る。尋いで㫖有りて、介の妻子を放ちて鄉に還らしむ。而して世、夷簡を以て長者と爲す。
現代語訳
石介が死んだあと、夏竦が仁宗に言った。「石介は実は死んでおりません。北へ逃げて胡へ走ったのです」。ほどなく詔があって、石介の妻子を江淮の地に監視つきで移した。さらに宦官の使者を出し、京東の部刺史とともに石介の棺を暴いて真偽を確かめさせようとした。このとき呂夷簡が京東転運使であった。使者に言った。「もし棺を暴いて空で、石介がほんとうに北へ走ったのなら、妻子まで殺しても酷いとは言えますまい。しかし万一、石介の屍がそこにあって、そもそも叛いて去ってなどいなかったなら、それは朝廷が理由もなく人の墓を暴いたことになる。何をもって後の世に示すのですか。石介が死んだとき、必ず納棺した者がいる。内外の親戚、葬儀に集まった門生は、およそ数百人。棺を持ち上げ、棺を空にするような仕事となれば、必ず葬送を業とする者を使う。いま全員に召集をかけてここへ呼び、取り調べて、もし食い違う話が出なければ、みなに軍令状を書かせて保証させる。それで詔に応えるには十分です」。使者は大いにもっともだとした。そこで数百通の証書を集め、みな罪を引き受ける形で保証した。使者はそれを持って上奏した。仁宗も夏竦の讒言だと悟った。ほどなく詔があって、石介の妻子を放して郷里へ帰らせた。世の人は呂夷簡を長者だと言った。
解説
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史記 越王句践世家二歳にして呉、蠡を帰す。句践、会稽より帰りて七年、其の士民を拊循し、用ひて以て呉に報いんと欲す。大夫逢同諫めて曰く、「国新たに流亡し、今乃ち復た殷給す。繕飾して利を備へば、呉必ず懼れん。懼るれば則ち難必ず至らん。且つ鷙鳥の撃つや、必ず其の形を匿す。今夫れ呉は兵を斉・晋に加へ、怨みは楚・越に深く、名は天下に高く、実は周室を害す。徳少なくして功多く、必ず淫して自ら矜らん。越の為に計るに、斉に結び、楚に親しみ、晋に附きて、以て呉を厚くするに若くは莫し。呉の志広ければ、必ず戦ひを軽んぜん。是れ我其の権を連ね、三国之を伐ち、越其の弊に承ずれば、克つべきなり」と。句践曰く、「善し」と。居ること二年、呉王将に斉を伐たんとす。子胥諫めて曰く、「未だ可ならず。臣聞く、句践は食に味を重ねず、百姓と苦楽を同じくすと。此の人死せずんば、必ず国の患と為らん。呉に越有るは、腹心の疾なり。斉の呉に与けるは、疥癬なり。願はくは王、斉を釈きて越を先にせよ」と。呉王聴かず、遂に斉を伐ち、之を艾陵に敗り、斉の高・国を虜にして以て帰る。子胥を譲む。子胥曰く、「王喜ぶ毋かれ」と。王怒り、子胥自殺せんと欲す。王聞きて之を止む。越の大夫種曰く、「臣、呉王の政を観るに驕れり。請ふ試みに之に粟を貸らんことを嘗み、以て其の事を卜せん」と。貸らんことを請ふ。呉王与へんと欲し、子胥与ふる勿かれと諫む。王遂に之に与ふ。越乃ち私かに喜ぶ。子胥言ひて曰く、「王諫めを聴かず、後三年にして呉其れ墟とならんか」と。太宰嚭之を聞き、乃ち数々子胥と越の議を争ひ、因りて子胥を讒して曰く、「伍員は貌は忠なれども実は忍人なり。其の父兄をすら顧みず、安んぞ能く王を顧みんや。王前に斉を伐たんと欲するや、員彊く諫む。已にして功有り、是を用て反りて王を怨む。王、伍員に備へずんば、員必ず乱を為さん」と。逢同と共に謀り、之を王に讒す。王始め従はず。乃ち子胥を斉に使はす。其の子を鮑氏に託するを聞き、王乃ち大いに怒りて曰く、「伍員果たして寡人を欺けり」と。役より反り、人をして子胥に属鏤の剣を賜ひて以て自殺せしむ。
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説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
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『晏子春秋』諫上・景公信用讒佞賞罰失中晏子諫景公讒佞を信用し、功無きを賞し、辜無きを罰す。晏子諫めて曰く、「臣聞く、明君は聖人を望みて其の教えを信じ、讒佞を聴きて以て誅賞するを聞かず、と。今、左右と相い説び頌えて曰く、『死者に比べて勉めて楽しみを為さんか、吾安んぞ能く仁を為して愈いよ民を黥するのみ』と。故に内に寵せらるる妾は、国に迫り奪い、外に寵せらるる臣は、鄙に矯り奪い、法を執る吏は、並びに百姓に荷う。民は愁苦約病して、奸は驅り尤いよ佚え、情を隠し悪を奄い、其の上を蔽い諂う、故に至聖大賢有りと雖も、豈に能く若き讒に勝たんや。是を以て忠臣の常に災傷有るなり。臣聞く、古の士は、与に之を得可く、与に之を失う可からず、与に之を進む可く、与に之を退く可からず、と。臣請う之を逃れん」と。遂に馬に鞭ちて出ず。公韓子休をして追わしめて曰く、「孤不仁にして、教えに順う能わず、以て此の極みに至る。夫子休国は焉くにか往かん。寡人将に従いて後あらんとす」と。晏子遂に馬に鞭ちて返る。其の僕曰く、「向の去ること何ぞ速かなる。今の返ること又何ぞ速かなる」と。晏子曰く、「子の知る所に非ず、公の言至れり」と。
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 華多僚の讒言宋の華費遂、華貙・華多僚・華登を生む。貙は少司馬為り。多僚は御士為り。貙と相惡む。乃ち諸を公に譖して曰く、「貙將に亡人を納れんとす」と。亟(しばしば)之を言ふ。公曰く、「司馬吾が故を以って、其の良子を亡へり。死亡は命有り。吾以って再び之を亡ふ可からず」と。對へて曰く、「君若し司馬を愛せば、則ち如(しか)ず亡げんには。死如し逃る可くんば、何の遠きことか之れ有らん」と。公懼れ、侍人をして司馬の侍人宜僚を召さしめ、之に酒を飲ましめて、司馬に告げしむ。司馬歎じて曰く、「必ず多僚ならん。吾讒子有りて、殺すこと能はず。吾又死せず。抑君命有り、若何す可き」と。乃ち公と謀りて、華貙を逐はんとし、將に孟諸に田せしめて之を遣らんとす。公之に酒を飲ましめ、厚く之に酬い、賜從者に及ぶ。司馬も亦た之の如くす。張匄之を尤(あや)しみて曰く、「必ず故有らん」と。子皮をして宜僚に承(むか)ふるに劍を以ってして之を訊はしむ。宜僚盡く以って告ぐ。張匄多僚を殺さんと欲す。子皮曰く、「司馬老いたり。登の謂(ため)に甚だし。吾又之を重ねば、亡ぐるに如かざるなり」と。
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史記 周本紀崇侯虎西伯を殷の紂に譖して曰く、「西伯善を積み徳を累ね、諸侯皆之に向かふ。将に帝に不利ならんとす」と。帝紂乃ち西伯を羑里に囚ふ。閎夭の徒之を患ふ。乃ち有莘氏の美女、驪戎の文馬、有熊の九駟、他の奇怪の物を求め、殷の嬖臣費仲に因りて之を紂に献ず。紂大いに説びて、曰く、「此の一物以て西伯を釈すに足る、況んや其の多きをや」と。乃ち西伯を赦し、之に弓矢斧鉞を賜ひ、西伯をして征伐するを得しむ。曰く、「西伯を譖する者は、崇侯虎なり」と。西伯乃ち洛西の地を献じ、以て紂に炮格の刑を去らんことを請ふ。紂之を許す。
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