宋名臣言行録 / 前集巻一・范質
質自從仕未嘗釋巻人或勉之質曰昔嘗有異人與吾言它日必當大任茍如其言無學術何以處之
新字:質自従仕未嘗釈巻人或勉之質曰昔嘗有異人与吾言它日必当大任苟如其言無学術何以処之
書き下し
質、仕に從いてより未だ嘗て巻を釋かず。人或いは之を勉む。質曰く、昔嘗て異人有りて吾と言えり。它日必ず當に大任あるべしと。茍くも其の言の如くんば、學術無くして何を以て之に處らんやと。
現代語訳
范質は仕えるようになってから、書物を手から離したことがなかった。ある人がそれを励ました。范質は言った。「昔、変わった人がいて私にこう言った。いつか必ず大きな任に就くだろう、と。もしその言葉のとおりになるなら、学問がなくてどうやってその地位にいられよう」。
解説
范質(九一一〜九六四)の最初の一条です。後唐の進士で、後周から宋の初めまで宰相を務めました。読み続ける理由を問われて挙げたのが、いつか大きな任に就くと言われた、そのときに学問がなくてどうやってその地位にいられるか、というものでした。占いを信じたというより、来るかもしれないものに間に合わせようとしています。趙普が晩年になって読み始めたのと並べて読むと、この書が読書をどう扱うかが見えてきます。
この章句が説くこと
苟くも其の言の如くんば学術無くして何を以て之に処らんや茍くも其の言の如くんば学術無くして何を以て之に処らんや仕に従いてより未だ嘗て巻を釈かず它日必ず当に大任あるべし準備学び
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