宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
公嘗語人曰治民如治病彼富醫之至人家也僕馬鮮明進退有禮為人診脉按醫書述病證口辨如傾聽之可愛然病兒服藥云無效則不如貧醫貧醫無僕馬舉止生疎為人診脉不能應對病兒服藥云疾已愈矣則便是良醫
新字:公嘗語人曰治民如治病彼富医之至人家也僕馬鮮明進退有礼為人診脉按医書述病證口弁如傾聴之可愛然病児服薬云無効則不如貧医貧医無僕馬舉止生疎為人診脉不能応対病児服薬云疾已愈矣則便是良医
書き下し
公嘗て人に語りて曰く、民を治むるは病を治むるが如し。彼の富める醫の人家に至るや、僕馬鮮明、進退に禮有り。人の爲に脈を診し、醫書を按じて病證を述べ、口辨傾くが如し。之を聽けば愛す可し。然れども病兒藥を服して效無しと云わば、則ち貧しき醫に如かず。貧しき醫は僕馬無く、舉止生疎、人の爲に脈を診するに應對する能わず。病兒藥を服して疾已に愈えたりと云わば、則ち便ち是れ良醫なりと。
現代語訳
欧陽脩はかつて人に語って言った。「民を治めるのは、病を治めるのと同じである。あの裕福な医者が人の家に来るときは、供の者も馬も立派で、立ち居振る舞いに礼がある。人のために脈を診て、医書に照らして病状を述べ、弁舌は水が傾くように流れる。聞いていれば感じがよい。しかし病人が薬を飲んで効かないと言えば、貧しい医者に及ばない。貧しい医者は供も馬もなく、立ち居はぎこちなく、脈を診ても受け答えができない。それでも病人が薬を飲んで、もう治ったと言うなら、それがすなわち良医である」。
解説
二人の医者を並べただけの比喩です。前者の描写が細かいのが効いています。**供の者も馬も立派で、立ち居振る舞いに礼がある。医書に照らして病状を述べ、弁舌は水が傾くように流れる。**説明の質も、態度も、身なりも申し分ない。判定は一行で終わります。**病人が薬を飲んで効かないと言えば、貧しい医者に及ばない。**そして後者には何もありません。**立ち居はぎこちなく、脈を診ても受け答えができない。**それでも治れば良医だ、と。判定するのは、患者の口だけです。
この章句が説くこと
民を治むるは病を治むるが如し僕馬鮮明進退に礼有り医書を按じて病證を述べ口弁傾くが如し然れども病児薬を服して効無しと云わば則ち貧しき医に如かず病児薬を服して疾已に愈えたりと云わば則ち便ち是れ良医なり成果見栄え
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