宋名臣言行録 / 前集巻九・王禹偁
禹偁能屬文太宗方奬㧞文士聞其名召拜右拾遺直史館賜緋故事賜緋者給銀帶上特命以文犀帶賜之公獻端拱箴以爲戒尋知制誥上嘗稱之曰禹偁文章當今天下獨歩真宗即位召爲翰林學士修太宗實錄執政疑公輕重其間落職知黄州州境有二虎鬬食其一冬雷羣雞夜鳴公上疏引洪範陳戒且自劾上乃命移知蘄州尋召還朝公巳卒
新字:禹偁能属文太宗方奨抜文士聞其名召拝右拾遺直史館賜緋故事賜緋者給銀帯上特命以文犀帯賜之公献端拱箴以為戒尋知制誥上嘗称之曰禹偁文章当今天下独歩真宗即位召為翰林学士修太宗実録執政疑公軽重其間落職知黄州州境有二虎闘食其一冬雷羣鶏夜鳴公上疏引洪範陳戒且自劾上乃命移知蘄州尋召還朝公巳卒
書き下し
禹偁、能く文を屬す。太宗、方に文士を奬㧞す。其の名を聞き、召して右拾遺・直史館を拜し、緋を賜う。故事、緋を賜う者は銀帶を給す。上、特に命じて文犀帶を以て之に賜う。公、端拱箴を獻じて以て戒と爲す。尋いで知制誥。上嘗て之を稱して曰く、禹偁の文章は當今天下獨歩なりと。真宗即位す。召して翰林學士と爲し、太宗實錄を修めしむ。執政、公の其の間を輕重するを疑う。職を落とされて黄州を知る。州境に二虎の鬬いて其の一を食らう有り。冬に雷あり、羣雞、夜に鳴く。公、疏を上りて洪範を引きて戒を陳べ、且つ自ら劾す。上乃ち命じて移して蘄州を知らしむ。尋いで召し還す。朝せんとするに公巳に卒す。
現代語訳
王禹偁は文章がよく書けた。太宗はちょうど文人を引き上げていた。その名を聞いて、召して右拾遺・直史館に任じ、緋の衣を賜った。先例では緋を賜る者には銀の帯を与える。帝はとくに命じて文様のある犀の帯を賜った。公は「端拱箴」を献じて戒めとした。ほどなく知制誥となった。帝はかつてこの人を称して言った。「王禹偁の文章は、当今の天下で独歩である」。真宗が即位した。召して翰林学士とし、太宗実録を修めさせた。執政は、公がその中で軽重をつけているのではないかと疑った。職を落とされて黄州の長官となった。州の境で二頭の虎が闘って一頭を食った。冬に雷があり、鶏の群れが夜に鳴いた。公は上疏して『洪範』を引いて戒めを述べ、そのうえで自分を弾劾した。帝はそこで命じて蘄州に移させた。ほどなく召し返した。参内しようとして、公はもう亡くなっていた。
解説
この章句が説くこと
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