宋名臣言行録 / 前集巻九・孔道輔
外人籍籍頗有聞之者左司諫范仲淹因登對極諫不可夷簡將廢后奏請勑有司無得受臺諫章疏十二月乙卯稱皇后入道賜號净妃居别宫權中丞孔道輔怪閤門不受章奏遣吏詗之始知其事奏請未降詔書明日與范仲淹帥諸臺諫詣閤門請對閤門不爲奏公等欲自宣祐門入趣内東門宣祐監官宦者闔扉拒之道輔拊門銅環大呼曰皇后被廢柰何不聽我曺入諫宦者奏之須臾有㫖臺諫欲有所言宜詣中書附奏公等悉詣中書論辨諠譁夷簡曰廢后自有典故仲淹曰相公不過引漢光武勸上耳此光武失徳又足法耶自餘廢后皆昏君所爲夷簡拱立曰兹事諸君更自登對力陳之公等退夷簡即爲熟狀貶黜道輔等故事中丞罷須有告詞至是直以勑除之公等還家勑尋至遣人押出城
新字:外人籍籍頗有聞之者左司諫范仲淹因登対極諫不可夷簡将廃后奏請勑有司無得受台諫章疏十二月乙卯称皇后入道賜号净妃居別宫権中丞孔道輔怪閤門不受章奏遣吏詗之始知其事奏請未降詔書明日与范仲淹帥諸台諫詣閤門請対閤門不為奏公等欲自宣祐門入趣内東門宣祐監官宦者闔扉拒之道輔拊門銅環大呼曰皇后被廃柰何不聴我曺入諫宦者奏之須臾有旨台諫欲有所言宜詣中書附奏公等悉詣中書論弁諠譁夷簡曰廃后自有典故仲淹曰相公不過引漢光武勧上耳此光武失徳又足法耶自余廃后皆昏君所為夷簡拱立曰茲事諸君更自登対力陳之公等退夷簡即為熟状貶黜道輔等故事中丞罷須有告詞至是直以勑除之公等還家勑尋至遣人押出城
書き下し
外人籍籍として、頗る之を聞く者有り。左司諫范仲淹、登對に因りて極諫して不可とす。夷簡、將に后を廢せんとす。奏請して有司に勑して臺諫の章疏を受くるを得る無からしむ。十二月乙卯、皇后入道と稱し、號を净妃と賜い、别宫に居らしむ。權中丞孔道輔、閤門の章奏を受けざるを怪しみ、吏を遣わして之を詗う。始めて其の事を知る。奏請未だ降さざるに詔書あり。明日、范仲淹と諸臺諫を帥いて閤門に詣りて對を請う。閤門、爲に奏せず。公等、自ら宣祐門より入りて内東門に趣かんと欲す。宣祐監官の宦者、扉を闔じて之を拒む。道輔、門の銅環を拊ちて大呼して曰く、皇后廢せらる。柰何ぞ我曺の入りて諫むるを聽さざるやと。宦者、之を奏す。須臾にして㫖有り、臺諫、言わんとする所有らば、宜しく中書に詣りて附奏すべしと。公等、悉く中書に詣りて論辨・諠譁す。夷簡曰く、后を廢するは自ら典故有りと。仲淹曰く、相公、漢の光武を引きて上に勸むるに過ぎざるのみ。此れ光武の失徳なり。又た法とするに足らんや。自餘の廢后は皆な昏君の爲す所なりと。夷簡、拱立して曰く、兹の事、諸君、更に自ら登對して力めて之を陳べよと。公等退く。夷簡、即ち熟狀を爲りて道輔等を貶黜す。故事、中丞罷むるには須らく告詞有るべし。是に至り、直ちに勑を以て之を除く。公等、家に還る。勑、尋いで至る。人を遣わして押して城を出だす。
現代語訳
外の人々は騒然として、それを聞き知る者が多かった。左司諫の范仲淹は拝謁の折に強く諫めて不可とした。呂夷簡は后を廃そうとした。奏上して担当の役所に、台諫の上疏を受け取ってはならないと命じさせた。十二月乙卯、皇后が道に入ったと称し、浄妃の号を賜って別の宮に住まわせた。権中丞の孔道輔は、閤門が上奏を受け取らないのを不審に思い、役人をやって探らせた。はじめてその事を知った。奏上がまだ下されないうちに詔書が出ていた。翌日、范仲淹と台諫の者たちを率いて閤門へ行き、拝謁を求めた。閤門は取り次がなかった。公らは自分で宣祐門から入って内東門へ向かおうとした。宣祐門の監官の宦官が、扉を閉じて拒んだ。孔道輔は門の銅の環を叩いて大声で叫んだ。「皇后が廃される。どうして我らが入って諫めるのを許さないのか」。宦官はそれを奏上した。ほどなく旨があった。台諫が申し上げたいことがあるなら、中書省へ行って添えて奏上せよ、と。公らはみな中書省へ行って論じ争い騒いだ。呂夷簡は言った。「后を廃するのは、もとより先例がある」。范仲淹は言った。「相公は漢の光武帝を引いて主上に勧めたにすぎない。これは光武帝の徳を失ったところだ。それでも手本とするに足りるのか。その他の廃后は、みな暗愚な君主のしたことだ」。呂夷簡は手を組んで立って言った。「この事は、諸君があらためて自分で拝謁して力を尽くして述べられよ」。公らは退出した。呂夷簡はすぐに正式の文書を作って孔道輔らを貶め退けた。先例では、中丞を罷めるには辞令の文が必要である。ここに至って、直ちに勅で任を解いた。公らは家に帰った。勅がほどなく届いた。人をやって押し出して都から出させた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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尚書・皐陶謨予(われ)違(たが)わば、汝(なんじ)弼(たす)けよ。汝、面従(めんじゅう)することなく、退(しりぞ)きて後言(こうげん)あることなかれ。