宋名臣言行録 / 前集巻三・張詠
既而諸軍請食馬芻粟公命以錢給之繼恩詬曰馬不食錢給錢何也公召謂曰今賊餘黨所在尚多民不敢出招安使頓兵城中不即討芻粟民所輸今城外皆冦也何由得之繼恩懼即出城討賊公計軍食有二嵗備乃奏罷陜西運粮上喜曰向益州日以運粮為請詠至方踰月已有二嵗備此人何事不能了朕無慮矣
新字:既而諸軍請食馬芻粟公命以銭給之継恩詬曰馬不食銭給銭何也公召謂曰今賊余党所在尚多民不敢出招安使頓兵城中不即討芻粟民所輸今城外皆寇也何由得之継恩懼即出城討賊公計軍食有二歳備乃奏罷陜西運粮上喜曰向益州日以運粮為請詠至方踰月已有二歳備此人何事不能了朕無慮矣
書き下し
既にして諸軍、馬に食わすの芻粟を請う。公、命じて錢を以て之に給す。繼恩詬りて曰く、馬は錢を食わず。錢を給するは何ぞやと。公召して謂いて曰く、今、賊の餘黨、所在に尚お多し。民、敢えて出でず。招安使、兵を城中に頓めて即ち討たず。芻粟は民の輸する所なり。今、城外は皆な冦なり。何に由りて之を得んと。繼恩懼れ、即ち城を出でて賊を討つ。公、軍食を計るに二歳の備え有り。乃ち奏して陜西の運粮を罷む。上喜びて曰く、向に益州は日々に運粮を以て請と為す。詠至りて方に月を踰え、已に二歳の備え有り。此の人、何事か了する能わざらん。朕、慮り無しと。
現代語訳
ほどなく諸軍が、馬に食わせる飼葉と穀物を求めた。公は命じて銭で支給させた。王継恩は罵って言った。「馬は銭を食わない。銭を支給するとはどういうことだ」。公は呼んで言った。「いま賊の残党が各地になお多い。民は外へ出ようとしない。招安使は兵を城中に留めたまま、すぐに討とうとしない。飼葉と穀物は民が納めるものだ。いま城の外はみな賊だ。どこから手に入れられるというのか」。王継恩は恐れ、すぐに城を出て賊を討った。公が軍の食糧を計算すると二年分の備えがあった。そこで奏上して陝西からの兵糧輸送を止めた。帝は喜んで言った。「これまで益州は毎日のように兵糧の輸送を願い出てきた。張詠が着いてひと月あまりで、もう二年分の備えがある。この人に片づけられないことがあろうか。私はもう心配しない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠時に益、諸郡を收復すと雖も、餘冦尚お充斥す。繼恩、功を恃みて驕恣し、復た兵を出ださず。日々に娱燕を以て事と為す。軍戢まらず、往往にして民財を剽奪す。公是に於て悉く招安司の吏を擒えて庭に至らしめ、面のあたり其の過ちを數え、將に盡く之を斬らんとす。吏皆な股栗して活を求む。公曰く、汝が帥、兵を聚めて冦を玩び、出だすを肯んぜざるは、皆な汝輩之を為すなり。今、能く亟かに乃の帥に白して其の兵を分かたば、尚お死を免る可しと。吏曰く、唯だ公の命ずる所のままに。兵分かたずんば、戮に就くを願うと。公之を釋つ。繼恩即日、兵を鄰州に分かつ。數日ならずして城中の兵半ばを減ず。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠淳化四年冬、東西兩川旱す。民饑う。吏、救䘏を失す。冦大いに起こる。五年正月、賊首李順、成都府を陷る。詔して王繼恩を招安使に充て、兵を率いて之を討たしむ。復た公に命じて成都府の事を知らしむ。五月、繼恩賊を破りて成都を收む。上、公を留めて秋に至りて始めて遣り行かしむ。時に關中、民に率いて粮を負いて以て川師に餉らしむ。道路絶えず。公府に至り、城中の屯する所の兵を問う。尚お三萬人にして半月の食無し。公、鹽價の素より髙くして廩に餘積有るを訪ね知る。乃ち其の估を下げ、民の米を以て鹽に易うるを得るを聴す。民爭いて之に趨る。未だ月を踰えずして米數十萬斛を得たり。軍中喜びて呼びて曰く、此の翁は真に善く國事を幹くる者なりと。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠公の蜀より還るや、詔して諌議大夫牛冕を以て公に代う。公之を聞きて曰く、冕は撫御の才に非ず。其れ能く綏輯せんやと。年を踰えて果たして王均の亂を致す。冕を逐いて益州に據る。後、之を討平すと雖も、民尚お未だ寧からず。上、公の前に蜀を治めて威惠の人に在るを以て、復た公を以て樞宻直學士と為し、刑部侍郎に遷して益州を知らしむ。蜀民之を聞き、鼓舞相い慶すること、赤子の乆しく父母を失いて復た来りて我を鞠うが如し。公、民の己を信ずるを知り、嚴に易うるに寛を以てす。凡そ令下れば人情慰愜せざる無し。蜀郡復た大いに治まる。上、謝濤に命じて蜀を撫せしめ、公に諭して曰く、卿の蜀に在るを得て、朕、復た西顧の憂い有らずと。因りて公に詔して景徳大錢を嘉・卭州に鑄しむ。一は小鉄錢十・銅錢一千に當たる。今、之を便とす。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠公嘗て蜀地素より狹く、游手の者衆きを以てす。事寧きの後、生齒日々に繁し。稍や水旱に遇わば則ち民必ず食に艱まん。時に米、㪷に錢三十六に直る。乃ち諸邑の田税を按じ、其の價の如くし、歳に米六萬斛を折る。春に至りて城中の細民を籍し、口を計りて劵を給し、元の估を輸して之を糴わしむ。奏して永制と為す。今に逮ぶこと七十餘年。時に災饉有りて米甚だ貴しと雖も、益の民に餒色無き者は、公の賜なり。
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『宋名臣言行録』前集巻八・龎籍公、延州に在り。軍行きて塞を出づ。糧を敵に因らしむ。馬芻は皆な自ら之を刈る。還りて其の直を畀う。民、飛輓の勞無し。去るに及び、民、道を遮りて泣きて曰く、公、兵を用うること數年、未だ嘗て一事を以て民を煩わさず。一子を以て香と為して之を焚くと雖も、猶お報ゆるに足らざるなりと。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠公、蜀を守る。兵火の餘、人反側を懐く。一日、軍を合わせて大いに閲す。始めて出づるに、衆遂に嵩呼する者三たびなり。公も亦た馬を下り、東に望みて三たび呼ぶ。復た轡を攬りて行く。衆敢えて讙せず。或ひと以て魏公に告ぐ。公曰く、當に是の時、琦も亦た敢えて措置せずと。