宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
上至澶州賊猶未退公曰六軍心膽在陛下身上今若登城必擒賊矣上因御澶之北門將士望見黄屋皆呼萬嵗聲震原野勇氣百倍
新字:上至澶州賊猶未退公曰六軍心胆在陛下身上今若登城必擒賊矣上因御澶之北門将士望見黄屋皆呼万歳声震原野勇気百倍
書き下し
上、澶州に至るも賊猶お未だ退かず。公曰く、六軍の心膽は陛下の身上に在り。今若し城に登らば、必ず賊を擒にせんと。上因りて澶の北門に御す。將士、黄屋を望み見て皆な萬歳を呼ぶ。聲、原野を震わす。勇氣百倍す。
現代語訳
帝が澶州に着いても、敵はまだ退かなかった。公は言った。「六軍の心と胆は、陛下の御身の上にあります。いま城に登られれば、必ず敵を捕らえられます」。帝はそこで澶州の北門に出御した。将兵は黄色い屋根の御車を見上げて、みな万歳を叫んだ。声は野を震わせた。勇気は百倍になった。
解説
城壁に登ってくれ、と頼んだ条です。理由が一行でした。**六軍の心と胆は、陛下の御身の上にあります。**兵の士気がどこに繋がれているかを、そのまま言っています。帝が北門に出ると、将兵が黄色い屋根を見上げて万歳を叫び、声が野を震わせました。前の条までで河を渡らせ、ここで城壁に上げている。段階を追って、姿を見せる場所を上げていったことになります。
この章句が説くこと
六軍の心胆は陛下の身上に在り今若し城に登らば必ず賊を擒にせん将士黄屋を望み見て皆な万歳を呼ぶ声原野を震わす士気率先現場
関連する章句
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李衛公問対・卷下夫れ用兵の法は、必ず先ず吾が士衆を察し、吾が勝氣を激して、乃ち以て敵を擊つべし。吳起の『四機』は、氣機を以て上と爲す。他の道無きなり。能く人人をして自ら鬬わしむれば、則ち其の銳當たる莫し。
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孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。
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孫子・行軍篇水を絶てば必ず水に遠ざかる。客水を絶ちて来たらば、之を水内に迎うる勿かれ。半ば済らしめて之を撃つは利なり。戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うる無かれ。生を視て高きに処り、水流を迎うる無かれ。此れ水上に処るの軍なり。
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呉子・論将篇呉子曰く、凡そ兵に四機有り。一に曰く気機、二に曰く地機、三に曰く事機、四に曰く力機。三軍の衆、百万の師、張設の軽重、一人に在り、是を気機と謂う。路狭く道険しく、名山大塞、十夫の守る所、千夫も過ぎず、是を地機と謂う。善く間諜を行い、軽兵往来し、其の衆を分散し、其の君臣をして相怨ましめ、上下相咎めしむ、是を事機と謂う。車は管轄堅く、舟は櫓楫利く、士は戦陳に習い、馬は馳逐に閑る、是を力機と謂う。此の四つの者を知りて、乃ち将たるべし。然れども其の威・徳・仁・勇は、必ず以て下を率い衆を安んじ、敵を怖れしめ疑いを決するに足るべし。令を施して下犯さず、在る所寇敢えて敵せず。之を得れば国強く、之を去れば国亡ぶ。是を良将と謂う、と。
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『韓非子』難二第三十七簡子抱を投げて曰く、「烏乎、吾の士數弊す。」燭過冑を免ぎて對えて曰く、「亦た君の能わざる有るのみ。士弊れたる者無し。」
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六韜・励軍武王 太公に問ひて曰く、「吾 三軍の衆をして、城を攻むれば先登を争ひ、野戦すれば先赴を争ひ、金の声を聞きて怒り、鼓の声を聞きて喜ばしめんと欲す。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「将に三あり」と。武王曰く、「敢へて其の目を問はん」と。太公曰く、「将 冬に裘を服ず、夏に扇を操らず、雨に蓋を張らず、名づけて礼将と曰ふ。将 身づから礼を服せざれば、以て士卒の寒暑を知る無し。隘塞を出で、泥塗を犯すには、将 必ず先づ下りて歩む、名づけて力将と曰ふ。将 身づから力を服せざれば、以て士卒の労苦を知る無し。軍 皆な次を定めて、将 乃ち舎に就く。炊ぐ者 皆な熟して、将 乃ち食に就く。軍 火を挙げざれば、将も亦た挙げず、名づけて止欲将と曰ふ。将 身づから止欲を服せざれば、以て士卒の飢飽を知る無し。将 士卒と寒暑・労苦・飢飽を共にす、故に三軍の衆、鼓の声を聞けば則ち喜び、金の声を聞けば則ち怒る。高城深池、矢石 繁く下るも、士は先登を争ふ。白刃 始めて合ふも、士は先赴を争ふ。士は死を好みて傷つくを楽しむに非ざるなり。其の将の寒暑・飢飽を知ること審らかにして、労苦を見ること明らかなるが為なり」と。