宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公鎮大名府北使道由之謂公曰相公望重何以不在中書公曰皇上以朝廷無事北門鏁鑰非凖不可
書き下し
公、大名府に鎮す。北使、道に之に由る。公に謂いて曰く、相公の望重し。何を以て中書に在らざるやと。公曰く、皇上、朝廷無事なるを以てす。北門の鏁鑰、凖に非ざれば不可なりと。
現代語訳
公が大名府に鎮していた。契丹の使者が道すがら立ち寄った。公に言った。「相公の名望は重い。どうして中書省におられないのですか」。公は言った。「主上は朝廷に事が無いとお考えだからです。北の門の鍵は、私でなければ務まりません」。
解説
左遷を、敵国の使者に問われた条です。主上は朝廷に事が無いとお考えだからです。北の門の鍵は、私でなければ務まりません。恨みも弁解もありません。都から外されたという事実を、要の場所を任されているという言い方に置き換えています。相手が誰かを考えると、これは弱みを見せないという実務でもありました。相手が誰かを考えると、弱みを見せないという実務でもありました。
この章句が説くこと
相公の望重し何を以て中書に在らざるや皇上朝廷無事なるを以てす北門の鏁鑰凖に非ざれば不可なり左遷体面応対
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