宋名臣言行録 / 前集巻五・薛奎
公舉進士時贄謁馮魏公首篇有囊書空自負早晚達明君之句馮捲巻而謂之曰不知秀才所負何事讀至第三篇春詩云千林如有喜一氣自無私乃曰秀才所負者如此
新字:公舉進士時贄謁馮魏公首篇有囊書空自負早晩達明君之句馮捲巻而謂之曰不知秀才所負何事読至第三篇春詩云千林如有喜一気自無私乃曰秀才所負者如此
書き下し
公、進士に舉げらるる時、馮魏公に贄謁す。首篇に、囊書空しく自ら負う、早晩、明君に達せんの句有り。馮、巻を捲きて之に謂いて曰く、知らず、秀才の負う所は何事ぞと。讀みて第三篇の春詩に至る。云う、千林に喜び有るが如く、一氣、自ら私無しと。乃ち曰く、秀才の負う所の者は此くの如しと。
現代語訳
公が進士に挙げられたとき、馮拯に文集を贈って面会した。冒頭の一篇に「袋の中の書物を、むなしく自負している。早晩、明君に届くだろう」という句があった。馮拯は巻を巻き上げて言った。「はて、秀才が自負しておられるのは何のことか」。読み進めて第三篇の春の詩まで来た。「千の林に喜びがあるかのようだ、一つの気には、もともと私心が無い」とあった。そこで言った。「秀才が自負しておられるのは、こういうことか」。
解説
自負を掲げた冒頭の一篇では、相手が首をかしげた条です。**はて、秀才が自負しておられるのは何のことか。**言葉で「自負している」と書いても、何を負っているかは伝わりません。三篇目の春の詩まで来て分かりました。**千の林に喜びがあるかのようだ、一つの気には、もともと私心が無い。**私心が無い、と自分では一言も言っていない。書きぶりのほうに出ていたわけです。
この章句が説くこと
知らず秀才の負う所は何事ぞ千林に喜び有るが如く一気自ら私無し秀才の負う所の者は此くの如し自負作品見抜き
関連する章句
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