宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
公既參大政上謂之曰人皆不能知卿以為卿但知經術不曉世務公對曰經術正所以經世務但後世所謂者大抵皆庸人故世俗皆以為經術不可施於世務耳上問然則卿所施設以何為先公曰變風俗立法度最方今所急也於是青苗市易坊塲保甲保馬導洛免役之政相繼並興設制置三司條例司與知樞宻院事陳升之同領之
新字:公既参大政上謂之曰人皆不能知卿以為卿但知経術不暁世務公対曰経術正所以経世務但後世所謂者大抵皆庸人故世俗皆以為経術不可施於世務耳上問然則卿所施設以何為先公曰変風俗立法度最方今所急也於是青苗市易坊塲保甲保馬導洛免役之政相継並興設制置三司条例司与知枢密院事陳升之同領之
書き下し
公既に大政に參ず。上之に謂いて曰く、人皆卿を知る能わず。以爲えらく卿は但だ經術を知りて世務を曉らずと。公對えて曰く、經術は正に世務を經る所以なり。但だ後世の所謂者は大抵皆庸人なり。故に世俗は皆以て經術は世務に施す可からずと爲すのみと。上問う、然らば則ち卿の施設する所、何を以て先と爲すと。公曰く、風俗を變じ法度を立つるは、最も方今の急なる所なりと。是に於いて青苗・市易・坊場・保甲・保馬・導洛・免役の政、相い繼ぎて並び興る。制置三司條例司を設け、知樞密院事陳升之と同じく之を領す。
現代語訳
王安石はすでに大政に加わった。天子は言った。「人はみな卿を知ることができない。卿はただ経学を知るだけで、世の実務を分かっていない、と思っている」。王安石は答えて言った。「経学こそ、まさに世の実務を経るためのものです。ただ後世でそう呼ばれている者は、おおむねみな凡庸な人です。だから世間は、経学は実務に施せないものと思い込んでいるだけです」。天子は問うた。「では、卿が施行するのに何を先とするか」。王安石は言った。「風俗を変え、法度を立てることが、いま最も急を要するところです」。ここにおいて青苗・市易・坊場・保甲・保馬・導洛・免役の政が、相次いで一斉に起こった。制置三司条例司を設け、知枢密院事の陳升之とともにこれを統べた。
解説
この章句が説くこと
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