宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
獨金陵揣知上意以一身當之為激切奮厲之言以動上意遂以仁廟為不治之朝神廟一旦得之以為千載㑹遇改法之初以天下公論謂之流俗内則太后外則顧命大臣尚不能回況臺諌乎祗増其勢耳
新字:独金陵揣知上意以一身当之為激切奮厲之言以動上意遂以仁廟為不治之朝神廟一旦得之以為千載会遇改法之初以天下公論謂之流俗内則太后外則顧命大臣尚不能回況台諌乎祗増其勢耳
書き下し
獨り金陵のみ上意を揣り知り、一身を以て之に當たり、激切奮厲の言を爲して以て上意を動かす。遂に仁廟を以て不治の朝と爲す。神廟一旦之を得て、以て千載の會遇と爲す。法を改むるの初め、天下の公論を以て之を流俗と謂う。内は則ち太后、外は則ち顧命の大臣すら、尚お回らす能わず。況んや臺諫をや。祗ミ其の勢いを増すのみ。
現代語訳
ただ王安石ひとりが天子の意を推し量って知り、一身をもってこれに当たり、激しく切実で奮い立たせる言葉を作って天子の心を動かした。ついに仁宗の御代を、治まっていない朝廷であるとした。神宗はひとたびこの人を得て、千年に一度の巡り合わせと考えた。法を改めるはじめ、天下の公論を「流俗」と呼んだ。内は太后、外は先帝の遺命を受けた大臣ですら、なお引き戻すことができなかった。まして御史台と諫院はどうか。ただその勢いを増すだけであった。
解説
誰も引き受けなかった天子の意を、一人が引き受けた場面です。**ただ王安石ひとりが天子の意を推し量って知り、一身をもってこれに当たった。**そして、そのために代価を払っています。**ついに仁宗の御代を、治まっていない朝廷であるとした。**先代を否定しないと、改める理由が立たない。仕上げが呼び名でした。**天下の公論を「流俗」と呼んだ。**反対に名前が付いた瞬間、反対が多いほど改革の必要性の証拠になります。**まして御史台と諫院はどうか。ただその勢いを増すだけであった。**
この章句が説くこと
独り金陵のみ上意を揣り知り一身を以て之に当たる遂に仁廟を以て不治の朝と為す法を改むるの初め天下の公論を以て之を流俗と謂う況んや台諫をや祗ミ其の勢いを増すのみ名づけ反対
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