宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
以病求罷入見滋福殿真宗曰朕方以大事託卿而卿病如此因命皇太子拜公公言皇太子盛徳必任陛下事因薦可為大臣者十餘人其後不至宰相者李及凌䇿而已然亦皆為名臣
新字:以病求罷入見滋福殿真宗曰朕方以大事託卿而卿病如此因命皇太子拝公公言皇太子盛徳必任陛下事因薦可為大臣者十余人其後不至宰相者李及凌策而已然亦皆為名臣
書き下し
病を以て罷めんことを求め、入りて滋福殿に見ゆ。真宗曰く、朕方に大事を以て卿に託せんとするに、卿の病むこと此くの如しと。因りて皇太子に命じて公を拜せしむ。公言う、皇太子の盛徳、必ず陛下の事に任えんと。因りて大臣と為る可き者十餘人を薦む。其の後、宰相に至らざる者は李及・凌䇿のみ。然れども亦た皆な名臣と為る。
現代語訳
病を理由に辞任を願い出て、参内して滋福殿にまみえた。真宗は言った。「私はまさに大事を卿に託そうとしていたのに、卿の病がこのようであるとは」。そして皇太子に命じて公を拝礼させた。公は言った。「皇太子の優れた徳があれば、必ず陛下の事を担われるでしょう」。そして大臣となれる者を十余人推薦した。その後、宰相に至らなかったのは李及と凌策だけだった。それでも二人ともみな名臣となった。
解説
辞任を願い出た席で、後任候補を十余人まとめて挙げた条です。**そのうち宰相に至らなかったのは二人だけ、その二人も名臣になりました。**当たり外れの話ではありません。一人ではなく十余人の名前を残していったことが要です。呂蒙正が懐の帳面に人材を書き付けていた条と同じで、人を推すのは思いつきではなく平素の蓄積から出ています。
この章句が説くこと
因りて大臣と為る可き者十余人を薦む其の後宰相に至らざる者は李及凌策のみ皇太子の盛徳必ず陛下の事に任えん後継推挙蓄積
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