宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
公召汝隂尉李直方謂之曰君能擒此當力言於朝乞行優賞不獲亦以不職奏免君矣直方退緝知羣盗所在分命弓手往捕其黨而躬往捕遇直方有母年九十母子泣别而行手㦸刺而獲之
新字:公召汝陰尉李直方謂之曰君能擒此当力言於朝乞行優賞不獲亦以不職奏免君矣直方退緝知羣盗所在分命弓手往捕其党而躬往捕遇直方有母年九十母子泣別而行手㦸刺而獲之
書き下し
公汝陰の尉李直方を召して之に謂いて曰く、君能く此を擒えば、當に力めて朝に言い優賞を行わんことを乞うべし。獲ずんば亦た不職を以て君を奏免せんと。直方退きて緝べ、羣盗の在る所を知る。分かち命じて弓手をして往きて其の黨を捕えしめ、而して躬ら往きて遇を捕う。直方に母有り年九十。母子泣きて別れて行く。手ずから㦸して刺して之を獲たり。
現代語訳
公は汝陰の尉である李直方を呼んで言った。「君がこれを捕らえられたら、力を尽くして朝廷に申し上げ、手厚い賞を行うよう願おう。捕らえられなければ、職を果たさなかったとして君の罷免を奏上する」。李直方は退がって調べ、賊の一味の居場所を突き止めた。手分けして弓手に命じてその一味を捕らえさせ、自らは出向いて尹遇を捕らえた。李直方には母があり、年は九十であった。母と子は泣いて別れて出発した。自ら戟で刺してこれを捕らえた。
解説
命じ方が、賞と罰を同時に出しています。**捕らえられたら手厚い賞を願おう。捕らえられなければ、職を果たさなかったとして罷免を奏上する。**逃げ道がありません。しかしこの言い方は、上の側も逃げられなくしています。賞を願うと言った以上、後で果たさねばならない。そして受けた側の出発が、短く書かれています。**李直方には母があり、年は九十であった。母と子は泣いて別れて出発した。**戻らないかもしれない仕事でした。
この章句が説くこと
君能く此を擒えば当に力めて朝に言い優賞を行わんことを乞うべし獲ずんば亦た不職を以て君を奏免せん直方退きて緝べ羣盗の在る所を知る直方に母有り年九十母子泣きて別れて行く命令賞罰
関連する章句
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『韓非子』外儲説右下第三十五賞罰共にすれば則ち禁令行われず。何を以て之を明らかにせん。之を明らかにするに造父・於期を以てす。
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呂氏春秋・義賞①春氣至れば則ち草木産し、秋氣至れば則ち草木落つ。産と落とは之を使しむるもの或り。自ら然るに非ざるなり。故に之を使しむる者至れば、物為さざる無く、之を使しむる者至らざれば、物為す可き無し。古の人、其の使しむる所以を審らかにす、故に物、用を為さざる莫し。賞罰の柄、此れ上の使しむる所以なり。其の以て加うる所の者義なれば、則ち忠信親愛の道彰わる。久しく彰われて愈々長ずれば、民の之に安んずること性の若し。此を之れ教成ると謂う。教成れば則ち厚賞嚴威有りと雖も禁ずること能わず。故に善く教うる者は、義以て賞罰して教成り、教成りて賞罰禁ずること能わず。賞罰を用いて當らざるも亦た然り。姦偽賊亂貪戻の道興り、久しく興りて息まざれば、民の之を讎うること性の若し。戎夷胡貉巴越の民は、是を以て厚賞嚴罰有りと雖も、禁ずること能わず。郢人の兩版を以て垣するや、吳起之を變じて惡まる。賞罰易れば民安くんぞ樂しまん。氐羌の民、其れ虜となるや、其の係纍を憂えずして、其の死するに焚かれざるを憂うるは、皆、邪に成り、且つ成りて民を賊う。故に賞罰の加うる所は、慎まざる可からず。
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