宋名臣言行録 / 後集巻五・唐介
公雖居外意未嘗不在朝廷於是濮議起言者多得罪公憂形于色宻疏請還臺諌之謫者
新字:公雖居外意未嘗不在朝廷於是濮議起言者多得罪公憂形于色宻疏請還台諌之謫者
書き下し
公外に居ると雖も、意は未だ嘗て朝廷に在らざるにあらず。是に於いて濮議起こり、言う者多く罪を得たり。公憂いを色に形し、密かに疏して臺諫の謫せられし者を還さんことを請う。
現代語訳
唐介は外任にあったけれども、その心が朝廷を離れたことはなかった。そこへ濮議が起こり、意見を述べた者の多くが罪を得た。唐介は憂いを顔色に出し、ひそかに上疏して、御史台と諫院で貶められた者たちを戻すよう願い出た。
解説
三十五字です。自分は当事者ではありません。外の任地にいて、論争にも加わっていない。それでも上疏しました。しかも、濮議の中身については何も言っていません。**御史台と諫院で貶められた者たちを戻すよう願い出た。**議論の是非ではなく、諫める役の人がまとめて処分された状態のほうを問題にしている。かつて自分がその立場で貶められ、文彦博の口添えで戻された人です。
この章句が説くこと
公外に居ると雖も意は未だ嘗て朝廷に在らざるにあらず是に於いて濮議起こり言う者多く罪を得たり公憂いを色に形す密かに疏して台諫の謫せられし者を還さんことを請う諫官庇護
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