宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
建中靖國初承君入為太宗正丞宰相曽布欲收置門下不能屈除提舉常平亦辭請知淮陽軍以去吏民畏愛之嵗大疾承君日自挟毉戸問病者藥之良勤得疾而卒
新字:建中靖国初承君入為太宗正丞宰相曽布欲収置門下不能屈除提舉常平亦辞請知淮陽軍以去吏民畏愛之歳大疾承君日自挟毉戸問病者薬之良勤得疾而卒
書き下し
建中靖國の初め、承君入りて太宗正丞と爲る。宰相曾布收めて門下に置かんと欲するも、屈する能わず。提舉常平に除せらるるも亦た辭す。淮陽軍を知らんことを請いて以て去る。吏民之を畏れ愛す。歲大いに疾あり。承君日ミ自ら醫戸を挾んで病者を問い、之に藥すること良に勤む。疾を得て卒す。
現代語訳
建中靖国の初め、田昼は都に入って太宗正丞となった。宰相の曾布は自分の門下に取り込もうとしたが、屈服させることができなかった。提挙常平に任じられたが、これも辞退した。淮陽軍の知事を願い出て都を去った。役人も民もこれを畏れ、そして慕った。その年、大きな疫病があった。田昼は毎日みずから医者を連れて病人を訪ね、薬を与えることにまことに熱心であった。そして自分も病を得て世を去った。
解説
友人を叱り続けた人の最期です。まず、断った経歴が並びます。**宰相の曾布は自分の門下に取り込もうとしたが、屈服させることができなかった。提挙常平に任じられたが、これも辞退した。**そして自分から選んだ場所で、疫病に出会いました。**田昼は毎日みずから医者を連れて病人を訪ね、薬を与えることにまことに熱心であった。**人に任せず、自分で回っています。**そして自分も病を得て世を去った。**「士のなすべきことはここで終わりではない」と言った人の、終わり方でした。
この章句が説くこと
宰相曽布収めて門下に置かんと欲するも屈する能わず提舉常平に除せらるるも亦た辞す淮陽軍を知らんことを請いて以て去る承君日ミ自ら医戸を挟んで病者を問い之に薬すること良に勤む疾を得て卒す疫病現場
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