宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公在秦增廣州城以保固東西市招集屬戸益市諸羌馬討殺生羌之鈔邉者厲兵以待賊訖公去秦賊不敢窺塞
新字:公在秦增広州城以保固東西市招集属戸益市諸羌馬討殺生羌之鈔邉者厲兵以待賊訖公去秦賊不敢窺塞
書き下し
公秦に在り、州城を增廣して以て保固し、東西の市を招集し、屬戸をして諸羌の馬を益ミ市わしむ。生羌の邉を鈔する者を討殺し、兵を厲まして以て賊を待つ。公の秦を去るに訖るまで、賊敢えて塞を窺わず。
現代語訳
韓琦は秦州にあって、州の城を拡げて固く保ち、東西の市を招き集め、属戸に命じて諸羌の馬をいっそう買わせた。辺境を掠める生羌を討ち殺し、兵を励まして敵に備えた。韓琦が秦州を去るまで、敵はあえて国境をうかがわなかった。
解説
秦州でしたことが、四十四字に詰まっています。城を拡げ、市を招き集め、羌の馬をいっそう買わせる。戦の備えでありながら、やっていることの半分は経済です。市が立てば人と物が来る、馬が入れば騎兵が組める。そのうえで、掠める者だけを討ちました。結びの一行が結果です。韓琦が秦州を去るまで、敵はあえて国境をうかがわなかった。勝ったのではなく、来させなかった、という書き方をしています。
この章句が説くこと
州城を增広して以て保固し東西の市を招集す属戸をして諸羌の馬を益ミ市わしむ公の秦を去るに訖るまで賊敢えて塞を窺わず備え経済抑止
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