宋名臣言行録 / 後集巻四・胡宿
公謂亷恥之責當先士人功舊之甄宜厚武士邉防偏禆京師將校年七十者衆其間曽經行陣立功伐一旦下令悉令告老沮立功之心解守邉之體非所以為國養恩也時包拯建此議屢以辭氣折公公論不可奪朝廷卒從公議
新字:公謂亷恥之責当先士人功旧之甄宜厚武士邉防偏禆京師将校年七十者衆其間曽経行陣立功伐一旦下令悉令告老沮立功之心解守邉之体非所以為国養恩也時包拯建此議屢以辞気折公公論不可奪朝廷卒従公議
書き下し
公謂う、廉恥の責は當に士人に先んずべし。功舊の甄は宜しく武士を厚くすべしと。邊防の偏禆・京師の將校、年七十なる者衆し。其の間に曾て行陣を經て功伐を立つる有り。一旦令を下して悉く告老せしめば、功を立つるの心を沮み、邊を守るの體を解く。國の爲に恩を養う所以に非ず。時に包拯此の議を建て、屢ミ辭氣を以て公を折く。公の論奪う可からず。朝廷卒に公の議に從う。
現代語訳
胡宿は言った。廉恥を求める責めは、まず文人の士に及ぼすべきである。功績や古参であることの評価は、武人に手厚くすべきである、と。国境防備の副将や都の将校で、七十歳になる者は多かった。その中には、かつて実戦を経て武功を立てた者がある。ある日いっせいに命令を下して残らず退職させれば、功を立てようとする心を挫き、国境を守る体制を解くことになる。国のために恩を蓄える道ではない。当時、包拯がこの議を立て、たびたび強い口調で胡宿を押さえつけようとした。胡宿の論は動かせなかった。朝廷はついに胡宿の議に従った。
解説
前の条で定年の運用を緩めた人が、ここでは対象によって基準を分けています。**廉恥を求める責めは、まず文人の士に及ぼすべきである。功績や古参であることの評価は、武人に手厚くすべきである。**同じ年齢でも、意味が違う。理由は、後に続く人への影響でした。**功を立てようとする心を挫き、国境を守る体制を解くことになる。**功を立てた古参が年齢だけで一律に外されるなら、これから功を立てる意味が薄れます。押しの強い相手に、押し返しています。
この章句が説くこと
廉恥の責は当に士人に先んずべし功旧の甄は宜しく武士を厚くすべし其の間に曽て行陣を経て功伐を立つる有り一旦令を下して悉く告老せしめば功を立つるの心を沮み辺を守るの体を解く時に包拯此の議を建て屢ミ辞気を以て公を折く公の論奪う可からず定年武人
関連する章句
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