宋名臣言行録 / 後集巻六・曾公亮
公在位乆熟於朝廷政事尤矜慎折獄四方奏讞必躬自省覽原情議法宻州銀發民田中盗往強取之大理當以強盗應死執政皆欲從之公獨以為此禁物也取之雖強與盗民間物有間固爭不決遂下有司議如公言比刼禁物法盗得不死葢公推析律意而主於平恕類皆如此
新字:公在位乆熟於朝廷政事尤矜慎折獄四方奏讞必躬自省覧原情議法宻州銀発民田中盗往強取之大理当以強盗応死執政皆欲従之公独以為此禁物也取之雖強与盗民間物有間固争不決遂下有司議如公言比刼禁物法盗得不死葢公推析律意而主於平恕類皆如此
書き下し
公位に在ること久しく、朝廷の政事に熟す。尤も折獄に矜愼なり。四方の奏讞は必ず躬ら自ら省覽し、情を原ねて法を議す。密州に銀民田の中に發き、盗往きて強いて之を取る。大理當つるに強盗を以て死に應ず。執政皆之に從わんと欲す。公獨り以爲えらく、此れ禁物なり。之を取ること強しと雖も、民間の物を盗むとは間有りと。固く爭いて決せず。遂に有司に下して議せしめ、公の言の如くす。禁物を劫かす法に比して、盗死せざるを得たり。蓋し公の律意を推析して平恕を主とすること、類ミ皆此くの如し。
現代語訳
曾公亮は位にあること久しく、朝廷の政事に熟していた。とりわけ裁きを断ずるのに慎重であった。各地から上がる裁決伺いは、必ず自分で目を通し、事情を尋ねたうえで法を議した。密州で民の田の中から銀が出て、盗人が行って力ずくでこれを奪った。大理寺は強盗として死罪に当てた。執政はみなこれに従おうとした。曾公亮ひとりが考えた。これは官の禁ずる物である。奪ったのは力ずくであっても、民間の物を盗むのとは違いがある、と。強く争って決着しなかった。ついに担当の役所に下して議させ、曾公亮の言うとおりになった。禁物を劫かす法に照らして、盗人は死を免れた。思うに曾公亮が律の趣旨を推し量って分析し、公平と寛恕を旨としたのは、おおむねみなこのとおりであった。
解説
全員が死罪でよいとした事件を、一人だけが止めました。争点は、奪ったものが何かでした。**これは官の禁ずる物である。奪ったのは力ずくであっても、民間の物を盗むのとは違いがある。**行為の激しさは同じでも、被害の性質が違えば当てる条文が変わる。しかも自分の判断で決めていません。**ついに担当の役所に下して議させ。**そして人が一人死なずに済みました。**律の趣旨を推し量って分析し、公平と寛恕を旨とした。**
この章句が説くこと
尤も折獄に矜慎なり四方の奏讞は必ず躬ら自ら省覧す大理当つるに強盗を以て死に応ず執政皆之に従わんと欲す公独り以為えらく此れ禁物なり之を取ること強しと雖も民間の物を盗むとは間有り量刑区分
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