宋名臣言行録 / 後集巻十・彭汝礪
以起居舍人召既至執政有問新舊之政者公曰政無彼此之辨一於是而已今所更大者取士及差役法行之而士民皆病未見其可執政不能屈
新字:以起居舎人召既至執政有問新旧之政者公曰政無彼此之弁一於是而已今所更大者取士及差役法行之而士民皆病未見其可執政不能屈
書き下し
起居舍人を以て召さる。既に至りて執政に新舊の政を問う者有り。公曰く、政に彼此の辨無し。是に一なるのみ。今更むる所の大なる者は士を取ると差役の法なり。之を行いて士民皆病む。未だ其の可なるを見ずと。執政屈する能わず。
現代語訳
起居舎人として召された。到着すると、執政のなかに新旧どちらの政かを問う者があった。公は言った。「政に、あちらこちらの区別はありません。正しいかどうか、その一つだけです。いま改めようとしている大きなものは、士を取る法と差役の法です。これを行って士も民もみな苦しんでいます。それがよいものだとは、まだ見ておりません」。執政は言い負かすことができなかった。
解説
どちらの側かを尋ねられて、その問い自体を外しました。**政に、あちらこちらの区別はありません。正しいかどうか、その一つだけです。**立場を答えれば、以後すべての案件が立場から判断されます。そして抽象論で終わらせず、その場で二つ挙げました。**士を取る法と差役の法です。これを行って士も民もみな苦しんでいます。**旗色ではなく、現に起きていることで答えている。
この章句が説くこと
起居舎人を以て召さる既に至りて執政に新旧の政を問う者有り政に彼此の弁無し是に一なるのみ今更むる所の大なる者は士を取ると差役の法なり之を行いて士民皆病む未だ其の可なるを見ず新旧是非
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