宋名臣言行録 / 前集巻二・呂端
保安軍奏獲李繼遷母太宗甚喜時㓂凖為樞宻副使端為宰相上獨召凖與之謀凖退自宰相幕次前過不入端使人邀至幕中曰鄉者上召君何為凖以獲繼遷母告端曰君何以處之凖曰凖欲斬于保安軍北門之外端曰必若此非計之得者也願君少緩其事端將覆奏之即召閤門吏使奏宰相呂端請對上召見之端具道凖言且言昔項羽得太公欲烹之漢髙祖曰願遺我一杯羮夫舉大事者固不顧其親況繼遷乃一悖逆之人哉且陛下今日殺繼遷之母繼遷可擒乎不然徒樹怨讎而益堅其叛心耳宜置于延州使善養視之以招徠繼遷雖不能即降終可以繫其心而母死生之命在我矣上拊髀稱善曰㣲卿幾誤我事即用端䇿
新字:保安軍奏獲李継遷母太宗甚喜時㓂凖為枢密副使端為宰相上独召凖与之謀凖退自宰相幕次前過不入端使人邀至幕中曰郷者上召君何為凖以獲継遷母告端曰君何以処之凖曰凖欲斬于保安軍北門之外端曰必若此非計之得者也願君少緩其事端将覆奏之即召閤門吏使奏宰相呂端請対上召見之端具道凖言且言昔項羽得太公欲烹之漢高祖曰願遺我一杯羹夫舉大事者固不顧其親況継遷乃一悖逆之人哉且陛下今日殺継遷之母継遷可擒乎不然徒樹怨讎而益堅其叛心耳宜置于延州使善養視之以招徠継遷雖不能即降終可以繋其心而母死生之命在我矣上拊髀称善曰微卿幾誤我事即用端策
書き下し
保安軍、李繼遷の母を獲たりと奏す。太宗甚だ喜ぶ。時に㓂凖樞宻副使と為り、端宰相と為る。上獨り凖を召して之と謀る。凖退きて宰相の幕次より前を過ぎて入らず。端人をして邀えて幕中に至らしめて曰く、鄉者上君を召す。何を為すかと。凖、繼遷の母を獲たるを以て告ぐ。端曰く、君何を以て之を處するかと。凖曰く、凖、保安軍の北門の外に斬らんと欲すと。端曰く、必ず此くの若くんば、計の得たる者に非ざるなり。願わくは君少しく其の事を緩くせよ。端將に之を覆奏せんとすと。即ち閤門の吏を召して奏せしむ、宰相呂端對を請うと。上之を召見す。端具さに凖の言を道う。且つ言う、昔、項羽太公を得て之を烹んと欲す。漢の髙祖曰く、願わくは我に一杯の羮を遺れと。夫れ大事を舉ぐる者は固より其の親を顧みず。況んや繼遷は乃ち一悖逆の人なるをや。且つ陛下今日繼遷の母を殺さば、繼遷擒う可きか。然らずんば、徒らに怨讎を樹てて益々其の叛心を堅くするのみ。宜しく延州に置き、善く之を養視せしめ、以て繼遷を招徠すべし。即ち降る能わずと雖も、終に以て其の心を繫ぐ可くして、母の死生の命は我に在らんと。上髀を拊ちて善しと稱して曰く、卿㣲かりせば幾ど我が事を誤らんとすと。即ち端の䇿を用う。
現代語訳
保安軍が、李継遷の母を捕らえたと奏上した。太宗はたいそう喜んだ。当時、寇準が枢密副使であり、呂端が宰相であった。太宗は寇準だけを召して相談した。寇準は退出して、宰相の控え所の前を通ったが入らなかった。呂端は人をやって控え所に招き入れ、言った。「先ほど主上が君を召された。何のことか」。寇準は李継遷の母を捕らえたことを告げた。呂端は言った。「君はこれをどう処置するつもりか」。寇準は言った。「私は保安軍の北門の外で斬りたい」。呂端は言った。「かならずそうするなら、それは得策ではない。どうか君、その事を少し遅らせてほしい。私が改めて奏上する」。すぐに閤門の役人を呼んで、宰相呂端が拝謁を願う、と奏上させた。太宗は召し入れた。呂端は寇準の言葉をつぶさに述べた。そのうえで言った。「昔、項羽が太公(劉邦の父)を捕らえて煮ようとしたとき、漢の高祖は『どうか私にも一杯の羹を分けてくれ』と言いました。大事を挙げる者は、もとより自分の親を顧みません。まして李継遷は道に背いた者です。そのうえ陛下が今日その母を殺せば、継遷を捕らえられるでしょうか。そうでないなら、いたずらに怨みを立てて、かえって叛く心を固くするだけです。延州に置いて手厚く養わせ、それによって継遷を招き寄せるべきです。すぐには降らないとしても、最後にはその心をつなぎとめられますし、母の生き死には我らの手にあることになります」。太宗は膝を打って善しと言った。「卿がいなかったら、あやうく事を誤るところだった」。そして呂端の策を用いた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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