宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
公為參政因閲晏元獻小詞而笑曰宰相而作艶詞可乎平父曰亦偶然爾吕惠卿為館職在坐曰為政必放鄭聲平父正色曰放鄭聲不若逺佞人也吕以為譏已自是與平父相失
新字:公為参政因閲晏元献小詞而笑曰宰相而作艶詞可乎平父曰亦偶然爾呂恵卿為館職在坐曰為政必放鄭声平父正色曰放鄭声不若遠佞人也呂以為譏已自是与平父相失
書き下し
公參政と爲る。晏元獻の小詞を閲するに因りて笑いて曰く、宰相にして艶詞を作るは可ならんやと。平父曰く、亦た偶然のみと。呂惠卿館職と爲り、坐に在りて曰く、政を爲すには必ず鄭聲を放てと。平父色を正して曰く、鄭聲を放つは佞人を遠ざくるに若かずと。呂以て己を譏ると爲し、是れより平父と相い失う。
現代語訳
王安石は参政となった。晏殊の小詞を読んでいて、笑って言った。「宰相でありながら艶っぽい詞を作るのは、よいことだろうか」。王安国は言った。「まあ、たまたまでしょう」。呂恵卿は館職であり、その席にあって言った。「政を行うには、必ず鄭の音楽を追放すべきです」。王安国は顔つきを改めて言った。「鄭の音楽を追放するのは、へつらう人を遠ざけるのに及びません」。呂恵卿は自分を謗ったものと受け取り、これより王安国と仲が悪くなった。
解説
その場の何気ない話が、一言で刺さる場面です。呂恵卿が挟んだのは、教科書どおりの正論でした。**政を行うには、必ず鄭の音楽を追放すべきです。**王安国の返しは、その正論の順序を入れ替えます。**鄭の音楽を追放するのは、へつらう人を遠ざけるのに及びません。**同じ『論語』の並びから、次の句を持ってきただけです。名指ししていないのに、当人には分かりました。**呂恵卿は自分を謗ったものと受け取り。**
この章句が説くこと
宰相にして艶詞を作るは可ならんや政を為すには必ず鄭声を放て鄭声を放つは佞人を遠ざくるに若かず呂以て己を譏ると為し是れより平父と相い失う応酬皮肉
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