宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
神宗初御經筵公進講尚書至天乃錫王勇智上曰何以獨言勇智公曰仲虺方稱成湯能伐夏救民故以勇智言之然聖人之德當如易所謂聦明睿智神武而不殺者然後可以盡善時上方富於春秋故公以好勇黷武為戒
新字:神宗初御経筵公進講尚書至天乃錫王勇智上曰何以独言勇智公曰仲虺方称成湯能伐夏救民故以勇智言之然聖人之徳当如易所謂聦明睿智神武而不殺者然後可以尽善時上方富於春秋故公以好勇黷武為戒
書き下し
神宗初めて經筵に御す。公尚書を進講して天乃ち王に勇智を錫うに至る。上曰く、何を以て獨り勇智を言うやと。公曰く、仲虺方に成湯の能く夏を伐ちて民を救うを稱う。故に勇智を以て之を言う。然れども聖人の德は當に易の所謂聰明睿智、神武にして殺さざる者の如くにして、然る後に以て善を盡くす可しと。時に上方に春秋に富む。故に公勇を好み武を黷すを以て戒めと爲す。
現代語訳
神宗がはじめて経筵に出た。公は『尚書』を進講して「天はそこで王に勇と智を賜った」というところに至った。天子は言った。「どうして勇と智だけを言うのか」。公は言った。「仲虺はちょうど、成湯が夏を伐って民を救えたことを称えているのです。だから勇と智でこれを言いました。しかし聖人の徳は、『易』にいわゆる『聡明で睿智、神のごとき武でありながら殺さない』というものであってはじめて、善を尽くしたと言えます」。当時、天子はまだ若かった。だから公は、勇を好み武を汚すことを戒めとしたのである。
解説
本文にある語を、そのまま褒め言葉として通さなかった条です。天子の質問はもっともでした。**どうして勇と智だけを言うのか。**答えはまず、文脈を限定します。**仲虺はちょうど、成湯が夏を伐って民を救えたことを称えているのです。**その場面での言葉であって、王の徳の全部ではない。そのうえで上を示しました。**神のごとき武でありながら殺さない。**武が徳になるのは、使わずに済ませたときだ、と。若い天子への最初の講義でした。
この章句が説くこと
神宗初めて経筵に御す天乃ち王に勇智を錫う仲虺方に成湯の能く夏を伐ちて民を救うを称う聰明睿智神武にして殺さざる者の如くにして然る後に以て善を尽くす可し勇武
関連する章句
-
論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
-
論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
-
孔子家語・六本孔子曰わく、「巧みにして度を好めば、必ず攻む。勇にして問うを好めば、必ず勝つ。智にして謀を好めば、必ず成る。愚者を以て之れに反す。是を以て、其の人に非ざれば、之れに告ぐるも聴かず。其の地に非ざれば、之れを樹うるも生ぜず。其の人を得れば、砂を聚めて之れに雨するが如し。其の人に非ざれば、聾を会めて之れを鼓するが如し。夫れ重きに処り寵を擅にし、専ら賢を妒むを事とするは、愚者の情なり。位高ければ則ち危うく、任重ければ則ち崩る、立ちて待つ可し。」
-
論語・陽貨篇子曰く、唯だ上知と下愚とは移らざるなり。
-
菜根譚・前集至人は何をか思い何をか慮らん。愚人は識らず知らず。与に学を論ずべく、亦た与に功を建つべし。唯だ中材の人のみ、一番の思慮知識多くして、便ち一番の臆度猜疑多し。事事与に手を下し難し。
-
孔子家語・弟子行強禦を畏れず、矜寡を侮らず。其の言は性に循い、其の都は富を以てす。材は戎を治むるに任う、是れ仲由の行なり。孔子之を和するに文を以てし、之を說くに詩を以て曰わく、『小拱大拱を受け、下國の駿龐と為り、天子の龍を荷う。戁ず悚じず、其の勇を敷奏す。強きかな武なるかな、文其の質に勝たず。』と。