宋名臣言行録 / 前集巻七・杜衍
韓公言公公心而樂與人善既知其人無復毫髪疑間始琦為樞宻副使論難一二事公不樂乆之相亮每事問曰諌議看来未諌議曽看便將来押字琦益為之盡心不敢忽以此見公存心至公不必以出於已為是賢於人逺矣
新字:韓公言公公心而楽与人善既知其人無復毫髪疑間始琦為枢密副使論難一二事公不楽久之相亮毎事問曰諌議看来未諌議曽看便将来押字琦益為之尽心不敢忽以此見公存心至公不必以出於已為是賢於人遠矣
書き下し
韓公言う、公は公心にして人と善を為すを樂しむ。既に其の人を知れば、復た毫髪の疑間無し。始め琦、樞宻副使と為る。一二事を論難す。公樂しまず。乆しくして相い亮とす。事毎に問いて曰く、諌議、看来たるや未だしやと。諌議、曽て看れば便ち將に来たりて字を押せと。琦、益々之が為に心を盡くし、敢えて忽せにせず。此れを以て公の心を存すること至公なるを見る。必ずしも己より出づるを以て是と為さず。人に賢なること逺し。
現代語訳
韓琦が言った。公は公の心を持ち、人と善を為すことを楽しんだ。ひとたびその人を知れば、それ以後は髪の毛ほどの疑いも隔てもなかった。はじめ韓琦が枢密副使となった。一つ二つの事について異議を唱えた。公は快く思わなかった。長らくして互いに理解し合った。事があるたび尋ねて言った。「諫議どの、目を通されたか、まだか」。「諫議どのが目を通されたなら、そのまま持ってきて署名してくれ」。韓琦はますますそのために心を尽くし、あえておろそかにしなかった。これによって、公の心の置き方がまったく公正であったことが分かる。自分から出たことだけを正しいとはしなかった。人より賢いことがはるかに遠い。
解説
異議を唱えられて快く思わなかった相手を、こう扱うようになった条です。「諫議どの、目を通されたか、まだか」「目を通されたなら、そのまま持ってきて署名してくれ」。自分の決裁の前に、相手の確認を通すようにしています。韓琦の側の評がこうです。自分から出たことだけを正しいとはしなかった。ぶつかった相手を排除するのではなく、手順の中に組み込んだ、という記録になっています。
この章句が説くこと
諌議看来たるや未だしや諌議曽て看れば便ち将に来たりて字を押せ必ずしも己より出づるを以て是と為さず公正異論手順
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