宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公知開封為百官圖以獻曰任人各以其才而百職修堯舜之治不過如此因指其遷進遲速次序曰如此而可以為公可以為私亦不可以不察由是吕丞相怒至交論上前公求對辨語切坐落職知饒州(碑)貶饒州謝表云此而為郡陳優優布政之方必也立朝増蹇蹇匪躬之節天下歎公至誠許國始終不渝不以進退易其守也
新字:公知開封為百官図以献曰任人各以其才而百職修堯舜之治不過如此因指其遷進遅速次序曰如此而可以為公可以為私亦不可以不察由是呂丞相怒至交論上前公求対弁語切坐落職知饒州(碑)貶饒州謝表云此而為郡陳優優布政之方必也立朝増蹇蹇匪躬之節天下嘆公至誠許国始終不渝不以進退易其守也
書き下し
公、開封を知る。百官圖を為りて以て獻じて曰く、人に任ずるに各々其の才を以てすれば、百職修まる。堯舜の治も此くの如きに過ぎずと。因りて其の遷進の遲速・次序を指して曰く、此くの如くにして以て公と為す可く、以て私と為す可し。亦た察せざる可からずと。是に由りて吕丞相怒り、上前に交々論ずるに至る。公、對を求めて辨ず。語切なり。坐して職を落とされ饒州を知る。饒州に貶せられ、謝表に云う、此にして郡と為らば、優優たる布政の方を陳べん。必ずや朝に立たば、蹇蹇たる匪躬の節を増さんと。天下、公の至誠にして國を許し、始終渝らず、進退を以て其の守を易えざるを歎ず。
現代語訳
公が開封の長官であった。百官の図を作って献上して言った。「人を任じるのにそれぞれその才によれば、あらゆる職が整います。堯舜の治といっても、これに過ぎるものではありません」。そして昇進の早い遅い、順序を指して言った。「このようであれば公とすることもでき、私とすることもできます。それも見分けないわけにいきません」。これによって呂夷簡は怒り、御前で互いに論じ合うに至った。公は拝謁を願い出て弁じた。言葉は切実であった。それによって職を落とされ饒州の長官となった。饒州に流されて、礼を述べる上表にこう書いた。「ここで郡を治めるのであれば、ゆったりとした施政の方策を述べましょう。もし朝廷に立つことがあれば、身を顧みない忠節をいよいよ増しましょう」。天下は、公が至誠をもって国に身を捧げ、始めから終わりまで変わらず、進退によってその守るところを変えなかったことを嘆じた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尉繚子・十二陵悔いは疑わしきを任ずるに在り。
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