宋名臣言行録 / 前集巻一・呂䝉正
公嘗問諸子曰我為相外議如何諸子云大人為相四方無事蠻夷賔服甚善但人言無能為事權多為同列所爭公曰我誠無能但有一能善用人爾此誠宰相之事也公夾袋中有冊子每四方人替罷謁見必問其有何人才客去隨即疏之悉分門類或有一人而數人稱之者必賢也朝廷求賢取之囊中故公為相文武百官各稱職者以此
新字:公嘗問諸子曰我為相外議如何諸子云大人為相四方無事蠻夷賓服甚善但人言無能為事権多為同列所争公曰我誠無能但有一能善用人爾此誠宰相之事也公夾袋中有冊子毎四方人替罷謁見必問其有何人才客去随即疏之悉分門類或有一人而数人称之者必賢也朝廷求賢取之嚢中故公為相文武百官各称職者以此
書き下し
公嘗て諸子に問いて曰く、我れ相と為り、外議如何と。諸子云う、大人相と為り、四方事無く、蠻夷賔服す。甚だ善し。但だ人言う、能く事を為す無く、權多く同列の爭う所と為ると。公曰く、我れ誠に能無し。但だ一能有り、善く人を用うるのみ。此れ誠に宰相の事なりと。公、夾袋の中に冊子有り。四方の人替罷して謁見する毎に、必ず其の何の人才有るかを問う。客去れば隨即ち之を疏す。悉く門類を分かつ。或いは一人にして數人之を稱する者有らば、必ず賢なり。朝廷賢を求むれば、之を囊中より取る。故に公相と為り、文武百官各々職に稱う者は此を以てなり。
現代語訳
公はかつて子たちに尋ねた。「私が宰相となって、外の評判はどうだ」。子たちは言った。「父上が宰相となって、四方に事は無く、蛮夷も心服しています。たいへん結構です。ただ、人は言っています。自分では何も事を成さず、権はしばしば同僚に奪われている、と」。公は言った。「私はまことに能が無い。ただ一つだけ能がある。人を用いるのが上手いということだ。これこそまさに宰相の仕事だ」。公は懐の袋の中に帳面を持っていた。地方から任を終えて謁見に来る者があるたび、必ずどんな人材がいるかを尋ねた。客が去るとすぐにそれを書き付けた。すべて分野ごとに分類した。もし一人の名を数人が挙げていれば、それは必ず賢者である。朝廷が賢者を求めれば、袋の中から取り出した。だから公が宰相であったとき、文武百官がそれぞれの職に称ったのは、これによる。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
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