宋名臣言行録 / 前集巻十・胡瑗
治家甚嚴尤謹内外之分兒婦雖父母在非節朔不許歸寧有遺訓嫁女必須勝吾家者娶婦必須不若吾家者或問其故曰嫁女勝吾家則女之事人必欽必戒娶婦不若吾家則婦之事舅姑必執婦道
新字:治家甚厳尤謹内外之分児婦雖父母在非節朔不許帰寧有遺訓嫁女必須勝吾家者娶婦必須不若吾家者或問其故曰嫁女勝吾家則女之事人必欽必戒娶婦不若吾家則婦之事舅姑必執婦道
書き下し
家を治むること甚だ嚴に、尤も内外の分を謹む。兒婦は父母在りと雖も、節朔に非ざれば歸寧を許さず。遺訓有り。女を嫁がしむるには必ず須らく吾が家に勝る者なるべし、婦を娶るには必ず須らく吾が家に若かざる者なるべしと。或るひと其の故を問う。曰く、女を嫁がしむるに吾が家に勝らば、則ち女の人に事うる、必ず欽み必ず戒む。婦を娶るに吾が家に若かざれば、則ち婦の舅姑に事うる、必ず婦道を執らんと。
現代語訳
家の治め方はたいそう厳しく、とりわけ内と外の分を慎んだ。嫁いできた嫁は、実の父母が健在であっても、節句や朔日でなければ里帰りを許さなかった。遺した訓がある。「娘を嫁がせるなら、必ず我が家より勝る家へ。嫁を迎えるなら、必ず我が家に及ばない家から」。ある人がその理由を尋ねた。答えて言った。「娘を我が家より勝る家へ嫁がせれば、娘は人に仕えるのに必ず慎み、必ず戒める。嫁を我が家に及ばない家から迎えれば、嫁は舅姑に仕えるのに必ず嫁としての道を守る」。
解説
縁組の相手を、家の格で決めた条です。理由まで本人の口から出ている。どちらも、来る人と行く人が**気を張るほう**を選んでいます。『顔氏家訓』が「婚姻は素対」=釣り合う家と結べと説いたのとは、正反対の考え方です。現代の感覚では受け入れがたい条ですが、削らずに置きました。学校で見せた寛やかさと、家の中のこの厳しさが同じ一人のものだ、というのがこの本の書き方だからです。
この章句が説くこと
家を治むること甚だ厳に尤も内外の分を謹む女を嫁がしむるには必ず吾が家に勝る者なるべし婦を娶るには必ず吾が家に若かざる者なるべし女の人に事うる必ず欽み必ず戒む家訓婚姻緊張
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