宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
元祐三年有呉處厚者以蔡確題安州車蓋亭詩來上以為謗訕宣仁太后得之怒曰蔡確以吾比武后當重謫吕汲公為左相不敢言忠宣乞薄確罪不從初議貶確新州忠宣謂汲公曰此路荆棘巳七八十年吾輩開之恐不自免汲公又不敢言忠宣因乞罷政
新字:元祐三年有呉処厚者以蔡確題安州車蓋亭詩来上以為謗訕宣仁太后得之怒曰蔡確以吾比武后当重謫呂汲公為左相不敢言忠宣乞薄確罪不従初議貶確新州忠宣謂汲公曰此路荆棘巳七八十年吾輩開之恐不自免汲公又不敢言忠宣因乞罷政
書き下し
元祐三年、呉處厚なる者有り。蔡確の安州の車蓋亭に題する詩を以て來たり上る。以て謗訕と爲す。宣仁太后之を得て怒りて曰く、蔡確吾を以て武后に比す。當に重く謫すべしと。呂汲公左相と爲るも敢えて言わず。忠宣確の罪を薄くせんことを乞うも從わず。初め確を新州に貶ずるを議す。忠宣汲公に謂いて曰く、此の路荊棘すること已に七八十年。吾輩之を開かば恐らくは自ら免れざらんと。汲公又た敢えて言わず。忠宣因りて政を罷めんことを乞う。
現代語訳
元祐三年、呉処厚という者があった。蔡確が安州の車蓋亭で題した詩を持って来て差し上げた。それを誹謗であるとした。宣仁太后はこれを得て怒って言った。「蔡確は私を武后になぞらえている。重く流罪にすべきだ」。呂大防は左相であったが、あえて何も言わなかった。范純仁は蔡確の罪を軽くするよう願い出たが、聴かれなかった。はじめ蔡確を新州に貶することが議された。范純仁は呂大防に言った。「この道は茨に閉ざされてすでに七、八十年になる。我らがこれを開けば、おそらく自分たちも免れないだろう」。呂大防はまた、あえて何も言わなかった。范純仁はそこで政を辞することを願い出た。
解説
敵を救おうとした条です。しかも理由が、情ではありません。この道は茨に閉ざされてすでに七、八十年になる。嶺南への流罪は、長く使われていませんでした。使わなければ、それは道でなくなります。ところが一度使えば、道として戻る。我らがこれを開けば、おそらく自分たちも免れないだろう。次に立場が入れ替わったとき、同じ道が自分たちに使われる。実際そうなりました。
この章句が説くこと
蔡確の安州の車蓋亭に題する詩を以て来たり上る以て謗訕と為す蔡確吾を以て武后に比す当に重く謫すべし此の路荊棘すること已に七八十年吾輩之を開かば恐らくは自ら免れざらん流謫先例
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