宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
知永興軍起居舎人毋湜鄠人也至和中湜上言乞廢陜西鐡錢朝廷雖不從其鄉人多知之争以鐡錢買物賣者不肯受長安為之亂民多閉肆僚屬請禁之彦博曰如此是愈使惑擾也乃召絲絹行人出其家縑帛數百匹使賣之曰納其直盡以鐡錢勿以銅錢也於是衆知鐡錢不廢市肆復安
新字:知永興軍起居舎人毋湜鄠人也至和中湜上言乞廃陜西鐡銭朝廷雖不従其鄉人多知之争以鐡銭買物売者不肯受長安為之乱民多閉肆僚属請禁之彦博曰如此是愈使惑擾也乃召糸絹行人出其家縑帛数百匹使売之曰納其直尽以鐡銭勿以銅銭也於是衆知鐡銭不廃市肆復安
書き下し
永興軍を知す。起居舍人毋湜は鄠人なり。至和中、湜上言して陝西の鐵錢を廢せんことを乞う。朝廷其の言に從わずと雖も、其の鄉人多く之を知る。爭いて鐵錢を以て物を買う。賣る者受くるを肯んぜず。長安之が爲に亂れ、民多く肆を閉づ。僚屬之を禁ぜんことを請う。彦博曰く、此くの如くんば是れ愈ミ惑擾せしむるなりと。乃ち絲絹の行人を召し、其の家の縑帛數百匹を出して之を賣らしめて曰く、其の直を納むるに盡く鐵錢を以てせよ。銅錢を以てする勿かれと。是に於いて衆、鐵錢の廢せられざるを知り、市肆復た安んず。
現代語訳
永興軍の知事となった。起居舎人の毋湜は鄠の人である。至和年間、毋湜は上言して陝西の鉄銭を廃止するよう願い出た。朝廷はその言に従わなかったが、その郷里の人の多くはこれを知った。争って鉄銭で物を買い、売る者は受け取ろうとしなかった。長安はそれで混乱し、民の多くは店を閉じた。属僚たちはこれを禁じるよう願い出た。文彦博は言った。「そうすれば、いっそう惑わせ乱すことになる」。そこで絹の仲買人を呼び、自分の家の絹数百匹を出してこれを売らせて、言った。「その代金を受け取るには、すべて鉄銭で受けよ。銅銭では受けるな」。そこで人々は鉄銭が廃止されないことを知り、市場はふたたび落ち着いた。
解説
廃止されるという噂だけで、通貨が使えなくなりました。属僚の案は禁止令でした。**属僚たちはこれを禁じるよう願い出た。**受け取りを拒むな、と命じる手です。文彦博の見立ては逆でした。**そうすれば、いっそう惑わせ乱すことになる。**禁じれば、噂が本当らしくなる。代わりに自分が受け取る側に回りました。**自分の家の絹数百匹を出してこれを売らせて、代金はすべて鉄銭で受けよ、と言った。**信用を、言葉ではなく自分の損得を賭けて示しています。
この章句が説くこと
湜上言して陝西の鉄銭を廃せんことを乞う争いて鉄銭を以て物を買う売る者受くるを肯んぜず僚属之を禁ぜんことを請う彦博曰く此くの如くんば是れ愈ミ惑擾せしむるなり其の直を納むるに尽く鉄銭を以てせよ銅銭を以てする勿かれ信用通貨
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