宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
諌議大夫張師徳謁向文簡曰師徳兩詣王相公門皆不得見恐為人輕毁望公從容明之一日方議知制誥公曰可惜張師徳向公曰何謂公曰累于上前説張師徳名家子有士行不意兩及吾門狀元及第榮進素定但當靜以待之耳若復奔競使無階而進者當如何也向公方以師徳之意啟之公曰旦處安得有人敢輕毁人但師徳後進待我淺也向公固稱師徳適有闕望公弗遺公曰苐緩之使師徳知聊以戒貪進激薄俗也
新字:諌議大夫張師徳謁向文簡曰師徳両詣王相公門皆不得見恐為人軽毁望公従容明之一日方議知制誥公曰可惜張師徳向公曰何謂公曰累于上前説張師徳名家子有士行不意両及吾門状元及第栄進素定但当静以待之耳若復奔競使無階而進者当如何也向公方以師徳之意啟之公曰旦処安得有人敢軽毁人但師徳後進待我浅也向公固称師徳適有闕望公弗遺公曰苐緩之使師徳知聊以戒貪進激薄俗也
書き下し
諌議大夫張師徳、向文簡に謁して曰く、師徳兩たび王相公の門に詣るも、皆な見ゆるを得ず。恐らくは人の輕毁を為さん。望むらくは公從容として之を明らかにせよと。一日、方に知制誥を議す。公曰く、惜しむ可し張師徳と。向公曰く、何の謂ぞと。公曰く、累に上前に説く、張師徳は名家の子にして士行有りと。意わざりき、兩たび吾が門に及ばんとは。狀元に及第す。榮進素より定まる。但だ當に靜かにして以て之を待つべきのみ。若し復た奔競せば、階無くして進む者をして當に如何せしめんやと。向公方に師徳の意を以て之を啟く。公曰く、旦が處、安んぞ人の敢えて人を輕毁する有るを得ん。但だ師徳は後進にして我を待つこと淺きのみと。向公固く師徳を稱し、適々闕有り、公の遺すこと弗きを望む。公曰く、苐だ之を緩くし、師徳をして知らしめ、聊か以て貪進を戒め薄俗を激せしめよと。
現代語訳
諫議大夫の張師徳が向敏中に会って言った。「私は二度、王相公の門を訪ねましたが、どちらもお会いできませんでした。おそらく誰かが私を悪く言っているのでしょう。どうか公から折を見て、そのことを明らかにしてください」。ある日、ちょうど知制誥の人選を議していた。公は言った。「惜しいことだ、張師徳は」。向敏中は「どういう意味ですか」と言った。公は言った。「私はたびたび主上の御前で、張師徳は名家の子で士としての行いがあると申し上げてきた。それが思いがけず、二度も私の門を訪ねてきた。彼は状元で及第している。栄えて進むことははじめから定まっている。ただ静かにしてそれを待てばよいのだ。それなのにまた駆け回って競うなら、足がかりの無いまま進もうとする者はどうすればよいのか」。向敏中はそこで張師徳の思いを打ち明けた。公は言った。「私のところで、誰かが人を悪く言うなどということがあろうか。ただ張師徳は後進で、私に対する見方が浅いだけだ」。向敏中はしきりに張師徳を称え、ちょうど欠員があるので見捨てないでほしいと願った。公は言った。「ただしばらく遅らせて、張師徳に分からせなさい。いささか、進もうと焦る気持ちを戒め、薄い風俗を引き締めるためだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻二・王旦王曽・張知白・陳彭年、政事に參預す。因りて公に白して曰く、事を奏する毎に、其の間に上覽を經ざる者有り。公但だ㫖を批して奉行す。恐らくは人之を言いて以て不可と為さんと。公遜謝するのみ。一日、奏對して公退く。諸公身を留む。上驚きて曰く、何の事有りて王旦と同に来らざるやと。諸公前説を以て對う。上曰く、旦は朕が左右に在ること多年なり。朕之を察するに毫髪の私無し。東封より後、朕諭すに小事は一面奉行するを以てす。卿等當に謹みて之を奉ずべしと。諸公退きて愧謝す。公曰く、向に諭及を䝉る。自ら上㫖を得たりと言う可からず。然れども今後更に諸公の規益を賴らんと。
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『宋名臣言行録』前集巻二・王旦真宗、王欽若に命じて相と作さんと欲す。公曰く、欽若は陛下に遭逢して恩禮已に隆し。且つ樞宻院に在らんことを乞う。兩府も亦た均し。臣見るに、祖宗の朝、未だ嘗て南方の人の國に當たる有らず。古に賢を立つるに方無しと稱すと雖も、然れども須らく賢士にして乃ち可なるべし。臣、宰相と為り、敢えて人を沮抑せず。此れ亦た公議なりと。上遂に止む。後、公罷めて欽若乃ち相たり。出でて人に語りて曰く、王公の為に却って我を十年遲らせて相と作さしむと。
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『宋名臣言行録』前集巻二・王旦陳彭年、翰林學士に任ずるの日、對を求めて歸り、政府に詣る。公之を延見す。陳起ちて其の狀を呈して曰く、科塲の條貫なりと。公之を地に投じて曰く、内翰、官を做すこと幾日ぞ。天下の進士を隔截せんと待つかと。陳惶懼して退く。時に向文簡同に中書に在り。一日、陳再び来る。公見えずして曰く、集賢㕔に到りて相見えしめよと。既にして向、陳の留むる所の文字を出だす。公、目を瞑じて紙を取りて之を封ず。向曰く、何ぞ一覽せざると。公曰く、興建符瑞の圖進に過ぎざるのみと。
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『宋名臣言行録』前集巻二・王旦中書に事の宻院に關送する有り。事、詔格に礙る。㓂公樞府に在り、特に以て聞す。上以て公を責む。公拜謝して咎を引く。堂吏皆な責罰に遭う。月を踰えずして、宻院に事の中書に送る有り。亦た舊詔に違う。堂吏之を得て欣然として公に呈す。公曰く、却りて宻院に送り與えよと。吏出でて㓂公に白す。冦大いに慙ず。翌日公に見えて曰く、同年、甚だ許大の度量を得たりと。公答えず。
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『宋名臣言行録』前集巻五・王曽公嘗て言う、始めて大政に參ずるとき、故王太尉の國に當たるに屬す。毎に朝士を進用するに、必ず望實を先にす。或ひと曰く、某人は才あり、某人は賢なりと。則ち曰く、誠に此の人を知る。然れども歴官尚お淺し。且く望を養わしめ、歳乆しくして渝らずして後に擢任せば、則ち榮途坦然として、中外允に惬わんと。故に公、執政の日、是の言を遵行す。而して人皆な心服す。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠公、清鑒有り、善く人物を臧否す。凡そ薦辟する所は皆な方亷恬退の士なり。嘗て曰く、彼の奔競を好む者は將に自ら之を得んとす。何ぞ吾が舉を假らんやと。