宋名臣言行録 / 前集巻六・宋庠
公初名郊字伯庠與其弟祁自布衣時名動天下號為二宋其為知制誥仁宗驟加奬眷便欲大用有忌其先進者譛之謂其姓符國號名應郊天又曰郊者交也交者替代之名也宋交其言不祥仁宗遽命改之公怏怏不獲已乃改名庠字公序公後更踐二府二十餘年以司空致仕兼享福夀而終而譛者竟不見用以卒可為小人之戒也
新字:公初名郊字伯庠与其弟祁自布衣時名動天下号為二宋其為知制誥仁宗驟加奨眷便欲大用有忌其先進者譛之謂其姓符国号名応郊天又曰郊者交也交者替代之名也宋交其言不祥仁宗遽命改之公怏怏不獲已乃改名庠字公序公後更践二府二十余年以司空致仕兼享福夀而終而譛者竟不見用以卒可為小人之戒也
書き下し
公、初め郊と名づけ、伯庠と字す。其の弟祁と、布衣の時より名、天下を動かす。號して二宋と為す。其の知制誥為るに、仁宗、驟かに奬眷を加え、便ち大用せんと欲す。其の先進を忌む者有り、之を譛りて謂う、其の姓は國號に符し、名は郊天に應ずと。又た曰く、郊は交なり。交は替代の名なり。宋交ぶ、其の言、不祥なりと。仁宗、遽かに命じて之を改めしむ。公怏怏として已むを獲ず。乃ち名を庠と改め、公序と字す。公、後に更々二府を踐むこと二十餘年。司空を以て致仕す。福夀を兼ね享けて終わる。而して譛る者、竟に用いられずして以て卒す。以て小人の戒と為す可きなり。
現代語訳
公ははじめ「郊」と名づけ、「伯庠」と字した。その弟の宋祁と、布衣のころから名が天下を動かした。「二宋」と呼ばれた。公が知制誥であったとき、仁宗はにわかに寵愛を加えて、すぐ大いに用いようとした。その先を越されるのを忌む者があって、讒言して言った。「その姓は国号(宋)と重なり、名は郊天(天を祭る儀式)に当たります」。さらに言った。「郊とは交わるということです。交わるとは、入れ替わるという名です。宋が交わる——その言葉は不吉です」。仁宗はすぐに命じてそれを改めさせた。公は不本意ながら、やむを得なかった。そこで名を「庠」と改め、「公序」と字した。公は後に二府の職を歴任すること二十余年。司空の位で隠退した。福も長寿もあわせて享けて世を終えた。ところが讒言した者は、けっきょく用いられずに死んだ。小人への戒めとすることができる。
解説
この章句が説くこと
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