宋名臣言行録 / 後集巻十三・陳瓘
乃為之極論熙豐元祐之事以為元豐之政多異熙寜則先志固巳變而行之溫公不明先志而用母改子之説行之太遽所以紛紛至於今日為今之計唯當絶臣下之私情融祖宗之善意消朋黨持中道庶乎可以救弊若又以熙豐元祐為説無以厭服公論恐紛紛未艾也辭辯淵源議論勁正章雖忤意亦頗驚異遂有兼取元祐之語留公共飯而别章到闕召公為太學博士公聞其與蔡卞方合知必害於正論遂以㛰嫁為辭久乃赴官於是三年不遷
新字:乃為之極論熙豊元祐之事以為元豊之政多異熙寜則先志固巳変而行之温公不明先志而用母改子之説行之太遽所以紛紛至於今日為今之計唯当絶臣下之私情融祖宗之善意消朋党持中道庶乎可以救弊若又以熙豊元祐為説無以厭服公論恐紛紛未艾也辞弁淵源議論勁正章雖忤意亦頗驚異遂有兼取元祐之語留公共飯而別章到闕召公為太学博士公聞其与蔡卞方合知必害於正論遂以㛰嫁為辞久乃赴官於是三年不遷
書き下し
乃ち之が爲に熙豐元祐の事を極論す。以爲えらく、元豐の政は多く熙寧に異なる。則ち先志は固より已に變じて之を行えり。温公先志を明らかにせずして母子を改むるの説を用い、之を行うこと太だ遽なり。紛紛として今日に至る所以なり。今の計を爲すには、唯だ當に臣下の私情を絶ち、祖宗の善意を融かし、朋黨を消し、中道を持すべし。庶わくは以て弊を救う可し。若し又た熙豐元祐を以て説を爲さば、以て公論を厭服する無く、恐らくは紛紛として未だ艾まざらん、と。辭辯淵源、議論勁正なり。章意に忤らうと雖も、亦た頗る驚異す。遂に元祐を兼取するの語有り。公を留めて共に飯して別る。章闕に到り、公を召して太學博士と爲す。公其の蔡卞と方に合するを聞き、必ず正論に害あるを知る。遂に婚嫁を以て辭と爲す。久しくして乃ち官に赴く。是に於いて三年遷らず。
現代語訳
そこで章惇のために、熙寧・元豊と元祐の事を論じ尽くした。その趣旨はこうである。元豊の政治は多くが熙寧と異なっている。つまり先帝のお考えは、もとよりすでに変わって実行されていたのだ。司馬光は先帝の考えを明らかにしないまま、母が子の定めを改めるという説を用い、それを実行するのがあまりに急であった。それが紛糾して今日に至った理由である。いまの計としては、ただ臣下の私情を断ち切り、祖宗のよい意図を溶かし合わせ、党派を消し、中道を保つべきである。そうすれば弊害を救うことができよう。もしまた熙豊か元祐かということで議論を立てるなら、世の議論を納得させることはできず、おそらく紛糾はやまないであろう。その弁舌は深く源があり、議論は力強く正しかった。章惇は意に逆らわれたとはいえ、やはりかなり驚いた。そこで元祐のよい点も併せて取る、という言葉が出た。陳瓘を引き留めてともに食事をして別れた。章惇は都に着くと、陳瓘を召して太学博士とした。陳瓘は、章惇が蔡卞と結びつきつつあることを聞き、必ず正しい議論の妨げになると知った。そこで子の縁組を理由に辞退した。長くたってからようやく赴任した。こうして三年、昇進しなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・行軍篇杖つきて立つ者は、饑うるなり。汲みて先ず飲む者は、渇するなり。利を見て進まざる者は、労るるなり。鳥集まる者は、虚しきなり。夜呼ぶ者は、恐るるなり。軍擾るる者は、将重からざるなり。旌旗動く者は、乱るるなり。吏怒る者は、倦みたるなり。馬に粟して肉食し、軍に懸缻無く、其の舎に返らざる者は、窮寇なり。諄諄翕翕として、徐ろに人と言う者は、衆を失うなり。
-
『宋名臣言行録』前集巻八・狄青行くに及び、衆を率いて日に一驛に過ぎず。至る所の州、輙ち士を休むること一日。潭州に至る。遂に行伍を立て約束を明らかにす。軍の行止、皆な行列を成す。鍤を荷い粮を裹み、守禦の備えを持するに至るまで、皆な區處有り。軍人の逆旅の菜一把を奪う者有り。之を斬りて以て狥う。是に於て一軍肅然として、敢えて聲氣を出だす無し。萬餘人行きて未だ嘗て聲を聞かず。青、毎に郵驛に止まる。四面、兵を嚴にす。門毎に皆な諸司使二人あり。人の妄りに出入するを得る無し。青に見えんことを求むる者は、即時に通ずるを得ざる無し。其の野宿は皆な營栅を成す。青の居る所、四面兵を陳ね、弓弩を彀くこと皆な數重。將いる所の精鋭、左右に列布して守衛甚だ嚴なり。青の未だ至らざるに方たり、諸將屢々敗れ屢々走る。皆な以て常と爲す。是に至り、桂州を知る陳某・英州を知る蘇緘、賊と戰いて復た敗走すること常の時の如し。青、賔州に至る。悉く陳と禆校凡そ三十二人を召し、其の罪を數えて軍法に按じて之を斬る。惟だ蘇緘のみ某の所に在り。械繫して上に聞せしむ。是に於て軍中、人人奮勵して死戰の心有り。
-
『宋名臣言行録』後集巻六・王安石元祐の初め、溫公差役を復して雇役を改む。子厚議して曰く、保甲・保馬は一日罷めざれば一日の害有り。役法の如きは則ち熙寧の初め雇役を以て差役に代う。之を議すること詳らかならず、之を行うこと太だ速し。故に後に弊有り。今復た差役を以て雇役に代う。當に詳議熟講して庶幾わくは行う可し。而して限りて五日に止むるは太だ速し。後に必ず弊有らんと。溫公以て然らずと爲す。子厚罪せられて去る。
-
『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博慶州の軍亂る。二府入りて議す。公曰く、朝廷の施爲は人心に合するに務め、静重を先と爲す。宜しく偏聽すべからず。陛下即位以來、精を厲まして治を求む。而して人情の未だ安からざる者は、更張の過ぎたるのみ。祖宗の法は未だ必ずしも行う可からずとせず。但だ廢墜して舉がらざる處有るのみと。王荊公曰く、此を爲す所以は將に以て民の害を去らんとするなり。何ぞ不可と爲さん。若し萬事隳頽して西晉の風の如くんば、茲れ乃ち益ミ亂るるなりと。蓋し荊公は公の言の己の爲に發するを知る。故に力めて之を排す。
-
『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁諫官と爲り、前後上の爲に言う。兵を休め事を省き、用を節し民を富ませ、君子を進め小人を退け、人材を愛し公論を申ぶるを急と爲す。聚斂を崇び苛刻を事とし、讒佞に親しみ偏聽に任ずるを戒めと爲す。大なれば則ち廷論し、小なれば則ち疏達す。未だ聽かれずんば則ち章を連ね牘を累ねて茍くも止めず。其の君子小人の際に於いては尤も反復激切、諱避する所無し。上方に治を求むるに鋭し。又た言う、道は遠し當に馴致すべし。事は大にして速やかに成し難し。人材は遽かに求む可からず。積□は頓に革む可からずと。公雅ミ荊公と厚善なり。是に至りて數ミ其の五霸富國強兵の術を以て人主を誤惑し天下の望を失うを言う。
-
『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘章色を厲しくして公を視て曰く、光は母后を輔け、獨り政柄を宰り、先烈を纂紹せず、意を肆にして大いに成緒を改む。國を誤ること此くの如し。姦邪に非ずして何ぞ、と。公曰く、其の心を察せずして其の迹を疑わば、則ち罪無しと爲さず。若し遂に以て姦邪と爲して、其の已に行うを大いに改めんと欲せば、則ち國を誤ること益ミ甚だし、と。