宋名臣言行録 / 後集巻八・吕希哲
始與程先生頤俱事胡先生瑗公少程一二嵗察其學問淵源非他人比首以師禮事之而明道程顥横渠張載孫公覺李公常皆與公遊由是知見日益廣大然公亦未嘗專主一說不私一門務畧去枝葉一意涵養直截勁㨗以造聖人專慕曾子之學盡力乎其内者其讀經書平直簡要不為辭說以知言為先自得為本躬行為實不尚虚言不為異行
新字:始与程先生頤倶事胡先生瑗公少程一二歳察其学問淵源非他人比首以師礼事之而明道程顥横渠張載孫公覚李公常皆与公遊由是知見日益広大然公亦未嘗専主一説不私一門務略去枝葉一意涵養直截勁捷以造聖人専慕曽子之学尽力乎其内者其読経書平直簡要不為辞説以知言為先自得為本躬行為実不尚虚言不為異行
書き下し
始め程先生頤と俱に胡先生瑗に事う。公程より一二歳少なきも、其の學問の淵源他人の比に非ざるを察し、首めに師禮を以て之に事う。而して明道程顥・横渠張載・孫公覺・李公常皆公と遊ぶ。是に由りて知見日ミ益ミ廣大なり。然れども公も亦た未だ嘗て專ら一説を主とせず、一門に私せず。務めて枝葉を略去し、一意に涵養し、直截勁㨗にして以て聖人に造らんとす。專ら曾子の學の力を其の内に盡くす者を慕う。其の經書を讀むは平直簡要にして辭説を爲さず。知言を以て先と爲し、自得を以て本と爲し、躬行を以て實と爲す。虚言を尚ばず、異行を爲さず。
現代語訳
はじめ程頤先生とともに胡瑗先生に師事した。公は程頤より一つ二つ年下であったが、その学問の淵源が他の人の比ではないことを見て取り、まっさきに師に対する礼をもってこれに仕えた。そして程顥・張載・孫覚・李常は、みな公と交わった。これによって見識は日ごとにますます広く大きくなった。しかし公はまた、もっぱら一つの説を主とせず、一つの門に肩入れしなかった。努めて枝葉を省き、ひたすら涵養に努め、まっすぐで力強くたやすく、それによって聖人に至ろうとした。もっぱら曾子の学で、力をその内側に尽くすものを慕った。経書を読むのは平明でまっすぐ簡潔であり、飾った説を立てなかった。言葉を知ることを先とし、自ら得ることを本とし、自ら行うことを実とした。虚しい言葉を尊ばず、変わった行いをしなかった。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕希哲正獻公公に事事規矩に循うを教う。甫めて十歳、祁寒暑□、侍立して終日、之に坐を命ぜざれば敢えて坐さざるなり。日に必ず冠帶して長者に見ゆ。平居天甚だ熱しと雖も、父母長者の側に在れば巾襪縛袴を去るを得ず。衣服惟だ謹しむ。行歩出入、茶肆酒肆に入るを得ず。市井里巷の語、鄭衛の音、未だ嘗て一たびも耳を經ず。不正の書、非禮の色、未だ嘗て一たびも目に接せず。公嘗て言う、人生内に賢父兄無く外に嚴師友無くして能く成る有る者は少なしと。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕希哲公晩に宿州・眞揚の間に居ること十餘年。衣食給せず、糧を絶つこと數日に至る者有り。公之に處すること晏然として、一室に静坐し家事一切問わず。毫髮の事を以て州縣に託せず。其の和州に在るとき嘗て詩を作りて云う、書を借り酒を沽うを除却するの外、更に一事の公私を擾すもの無しと。閑居して日に易一爻を讀み、遍く古今諸儒の説を考え、默坐沈思し事に隨いて解釋す。夜は則ち子孫と得失を評論商確し、久しくして方に罷む。
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『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗初め直講と爲るや、㫖有りて專ら一學の政を掌る。遂に誠を推して多士を教育し、亦た人物を甄別す。故に經術を好み尚ぶ者、兵戰を談ずるを好む者、文藝を好む者、節義を好み尚ぶ者、皆之をして類を以て羣居し、相い與に講習せしむ。胡も亦た時に之を召して、其の學ぶ所を論ぜしめ、爲に其の理を定む。或いは自ら一義を出だして、人人をして對を以てせしめ、之を可否す。當時の政事、之をして折□せしむ。故に人皆從うを樂しみて成る有り。今の朝廷の名臣は、徃徃にして胡の徒なり。
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『近思録』巻14 観聖賢呂与叔明道先生の哀辞を撰して云う、先生は特立の才を負い、大学の要を知る。博文強識、躬行力究。倫を察し物を明らかにし、其の止まる所を極む。渙然として心釈け、洞(あき)らかに道体を見る。其の約に造(いた)るや、事変の感一ならずと雖も、応ずるに是の心を以てして窮まらざるを知る。天下の理至って衆しと雖も、之を吾が身に反して自ら足るを知る。其の一に致すや、異端並び立つも移す能わず。聖人復た起こるも与に易えず。其の養の成るや、和気充浹して、声容に見わる。然れども之を望めば崇深にして、慢るべからざるなり。事に遇いて優為し、従容として迫らず。然れども誠心懇惻、之を措かざるなり。其の自ら任ずるの重きや、寧ろ聖人を学びて未だ至らざるも、一善を以て名を成すを欲せず。寧ろ一物の沢を被らざるを以て己が病と為すも、一時の利を以て己が功と為すを欲せず。其の自ら信ずるの篤きや、吾が志行うべくんば、苟も其の去就を潔くせず。吾が義の安んずる所は、小官と雖も屑しとせざる所有り。呂与叔横渠先生の行状を撰して云う、康定兵を用うる時、先生年十八、慨然として功名を以て自ら許す。書を上りて范文正公に謁す。公其の遠器なるを知り、之を成就せんと欲し、乃ち之を責めて曰く、「儒者自ずから名教有り、何ぞ兵を事とせん」と。因りて《中庸》を読むを勧む。先生其の書を読み、之を愛すと雖も、猶お以て未だ足らずと為す。是に於いて又諸を釈老の書に訪ぬ。年を累ねて、尽く其の説を究む。得る所無きを知り、反りて之を六経に求む。嘉佑の初め、程伯淳・正叔に京師に見え、共に道学の要を語る。先生渙然として自ら信じ、曰く、「吾が道自ずから足る、何ぞ旁らに求むることを事とせん」と。是に於いて尽く異学を棄て、淳如たり。晩に崇文より疾と移して西に帰る。横渠にて終日一室に危坐し、左右に簡編あり、俯して読み、仰いで思う。得る有れば則ち之を識す。或いは中夜に起坐し、燭を取りて以て書す。
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『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗先生、尤も患う、隋唐以來、仕進に文詞を尚びて經業を遺て、苟くも禄利に趨るを。蘇・湖二州の教授と爲るに及び、條約を嚴にして、身を以て之に先んず。大暑と雖も必ず公服して終日、以て諸生に見ゆ。經を解して要義有るに至れば、懇懇として諸生の爲に、其の己を治めて而る後に人を治むる所以の者を言う。學徒千數、日月に刮劘し、文章を爲るに皆經義を傳え、必ず理を以て勝る。其の師説を信じ、行實を敦く尚ぶ。後、太學と爲るや、四方之に歸し、庠舍容るる能わず、旁ら歩軍の居を拓きて以て之を廣む。五經の異論、弟子之を記して、目して胡氏口義と爲す。
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