宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
獨役法新舊差募二議俱有弊吳蜀之民以雇役為便公與温公皆早貴少厯州縣不能周知四方風俗故公主雇役温公主差役蘇内翰范忠宣温公門下士復以差役為未便章子厚公門下士亦以雇役為未盡三人雖賢否不同皆聰明曉吏治兼知南北風俗其所論甚公各不私於所主
新字:独役法新旧差募二議倶有弊吳蜀之民以雇役為便公与温公皆早貴少厯州県不能周知四方風俗故公主雇役温公主差役蘇内翰范忠宣温公門下士復以差役為未便章子厚公門下士亦以雇役為未尽三人雖賢否不同皆聰明暁吏治兼知南北風俗其所論甚公各不私於所主
書き下し
獨り役法は新舊差募の二議倶に弊有り。吳蜀の民は雇役を以て便と爲す。公と溫公と皆早く貴く、少く州縣を歴て四方の風俗を周く知る能わず。故に公は雇役を主とし、溫公は差役を主とす。蘇内翰・范忠宣は溫公門下の士なるも、復た差役を以て未だ便ならずと爲す。章子厚は公の門下の士なるも、亦た雇役を以て未だ盡くさずと爲す。三人は賢否同じからずと雖も、皆聰明にして吏治を曉り、兼ねて南北の風俗を知る。其の論ずる所は甚だ公にして、各ミ主とする所に私せず。
現代語訳
ただ役法については、新旧の差役と雇役の二つの議に、どちらも弊害があった。呉や蜀の民は雇役を便利とした。王安石と司馬光はどちらも早く高位に上り、州や県を歴任した経験が少なく、四方の風俗をあまねく知ることができなかった。だから王安石は雇役を主張し、司馬光は差役を主張した。蘇軾と范純仁は司馬光の門下の士でありながら、差役をよくないとした。章惇は王安石の門下の士でありながら、雇役を不十分だとした。三人は賢か否かは同じでないが、みな聡明で役所の実務に通じ、あわせて南北の風俗を知っていた。その論ずるところはきわめて公平で、それぞれ自分の属する側に肩入れしなかった。
解説
対立の根を、思想ではなく経験の欠如に置いた条です。**王安石と司馬光はどちらも早く高位に上り、州や県を歴任した経験が少なく、四方の風俗をあまねく知ることができなかった。**どちらも優秀で、どちらも地方を知らない。だから正反対の主張になりました。そして面白いのは、弟子たちの立ち位置です。**蘇軾と范純仁は司馬光の門下でありながら、差役をよくないとした。章惇は王安石の門下でありながら、雇役を不十分とした。**現場を知る三人は、みな師と逆でした。
この章句が説くこと
独り役法は新旧差募の二議倶に弊有り公と温公と皆早く貴く少く州県を歴て四方の風俗を周く知る能わず蘇内翰范忠宣は温公門下の士なるも復た差役を以て未だ便ならずと為す皆聰明にして吏治を暁り兼ねて南北の風俗を知る各ミ主とする所に私せず経験地方
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