宋名臣言行録 / 後集巻四・王素
仁宗方留情政事思聞得失親除諌官而歐余王蔡相次進用公嘗言禮部取士不詢采行實顧文辭漫漶不足以應務請郡國置學擇明師使通知經術稍近三代里選之法自景徳以來較今内外無名之費數倍于前請置官三司量一嵗所入其用非急者皆省去之㑹皇子生議欲因赦百官進官大賞賚諸軍公又言方元昊叛契丹數有所求縣官財用不足宜留金繒以佐邉費一官爵以賞戰勞其議為公止仁宗御天章閣出手詔問兩府大臣所以興治革□之方公又疏時政姑息十餘事皆人所難言者
新字:仁宗方留情政事思聞得失親除諌官而欧余王蔡相次進用公嘗言礼部取士不詢采行実顧文辞漫漶不足以応務請郡国置学択明師使通知経術稍近三代里選之法自景徳以来較今内外無名之費数倍于前請置官三司量一歳所入其用非急者皆省去之会皇子生議欲因赦百官進官大賞賚諸軍公又言方元昊叛契丹数有所求県官財用不足宜留金繒以佐邉費一官爵以賞戦労其議為公止仁宗御天章閣出手詔問両府大臣所以興治革□之方公又疏時政姑息十余事皆人所難言者
書き下し
仁宗方に政事に情を留め、得失を聞かんことを思い、親しく諫官を除す。而して歐・余・王・蔡相次いで進用せらる。公嘗て言う、禮部の士を取るに行實を詢采せず、文辭を顧みるのみ。漫漶にして以て務に應ずるに足らず。郡國に學を置き、明師を擇びて經術を通知せしめんことを請う。稍ミ三代の里選の法に近からんと。景德以來、今を較ぶるに内外の無名の費は前に數倍す。官を三司に置き、一歳の入る所を量り、其の用の急に非ざる者は皆省き去らんことを請う。會ミ皇子生まれ、議して赦に因りて百官の官を進め、大いに諸軍に賞賚せんとす。公又た言う、方に元昊叛き、契丹しばしば求むる所有り。縣官の財用足らず。宜しく金繒を留めて以て邊費を佐け、官爵を一にして以て戰勞に賞すべしと。其の議公の爲に止む。仁宗天章閣に御し、手詔を出して兩府の大臣に治を興し□を革むるの方を問う。公又た時政の姑息十餘事を疏す。皆人の言い難き所の者なり。
現代語訳
仁宗はちょうど政事に心を注ぎ、得失を聞きたいと思って、自ら諫官を任じた。そして欧陽脩・余靖・王素・蔡襄が相次いで登用された。王素はかつて言った。「礼部が士を採るのに、行いの実際を尋ね取らず、文辞だけを見ている。ぼんやりしていて実務に応じるに足りない。郡国に学校を置き、すぐれた師を選んで経学に通じさせるようお願いします。少しは三代の里選の法に近づきます」。「景徳以来、今と比べると、内外の名目のない出費は以前の数倍です。官を三司に置いて一年の収入を量り、その用途が急を要さないものはみな省くようお願いします」。ちょうど皇子が生まれ、大赦にあわせて百官の位を進め、諸軍に大きく褒賞を与えることが議された。王素はまた言った。「いま元昊が叛き、契丹はたびたび求めてきております。役所の財源は足りません。金と絹は留めて国境の費用に充て、官爵は一つに絞って戦の労に報いるべきです」。その議は王素によって取りやめになった。仁宗は天章閣に出御し、直筆の詔を出して中書・枢密の大臣に、治めを興し〔一字を欠く〕を改める方策を問うた。王素はまた、当時の政治のその場しのぎ十余か条を上疏した。どれも人が言いにくいところのものであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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尚書・皐陶謨予(われ)違(たが)わば、汝(なんじ)弼(たす)けよ。汝、面従(めんじゅう)することなく、退(しりぞ)きて後言(こうげん)あることなかれ。