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宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光

昔太宗平河東立和糴法時米斗十餘錢草束八錢民樂與官為市後物貴而和糴不解遂為河東世世之患臣恐異日之青苖猶河東之和糴也上曰陜西行之久矣民不以為病公曰臣陜西人也見其病不見其利朝廷初不許也而有司尚能以病民况立法許之乎

新字:昔太宗平河東立和糴法時米斗十余銭草束八銭民楽与官為市後物貴而和糴不解遂為河東世世之患臣恐異日之青苖猶河東之和糴也上曰陜西行之久矣民不以為病公曰臣陜西人也見其病不見其利朝廷初不許也而有司尚能以病民況立法許之乎

書き下し

昔太宗河東を平らげ和糴の法を立つ。時に米は斗十餘錢、草は束八錢。民官と市を爲すを樂しむ。後に物貴くして和糴解けず、遂に河東世世の患いと爲る。臣恐る、異日の青苗は猶お河東の和糴のごとくならんことをと。上曰く、陝西に之を行うこと久し。民以て病と爲さずと。公曰く、臣は陝西の人なり。其の病を見て其の利を見ず。朝廷初め之を許さざるなり。而して有司尚お能く以て民を病ましむ。况んや法を立てて之を許すをやと。

現代語訳

昔、太宗が河東を平定して和糴の法を立てた。当時、米は一斗十余銭、草は一束八銭であった。民は官と取引するのを喜んだ。後に物価が上がっても和糴は解除されず、ついに河東の代々の患いとなった。臣は恐れます、いつの日か青苗が、河東の和糴のようになることを」。天子は言った。「陝西では実施して久しい。民は害だとは思っていない」。司馬光は言った。「臣は陝西の人です。その害は見ましたが、利は見ておりません。朝廷は当初これを許していなかったのです。それでも担当の役所は民を苦しめることができました。まして法を立ててこれを許すとなればなおさらです」。

解説

制度が変質していく実例です。始まりは、民の側に有利でした。**民は官と取引するのを喜んだ。**壊れたのは値のほうです。**後に物価が上がっても和糴は解除されず、ついに河東の代々の患いとなった。**条件が変わっても、仕組みだけが残る。そして「陝西では害と思われていない」という反論に、出身地で答えました。**臣は陝西の人です。その害は見ましたが、利は見ておりません。**しかも当時は非公認でした。**まして法を立ててこれを許すとなればなおさらです。**

この章句が説くこと

昔太宗河東を平らげ和糴の法を立つ民官と市を為すを楽しむ後に物貴くして和糴解けず遂に河東世世の患いと為る臣は陝西の人なり其の病を見て其の利を見ず朝廷初め之を許さざるなり而して有司尚お能く以て民を病ましむ制度固定

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