宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
公為相議欲稍由學校進士命侍從儒臣講立法制太學諸生經明行修者由右學升左學由左學升上舍嵗終擇上舍中經行尤髙者比及第人命之以官既簽同列奏獨翰林歐陽永叔舍人劉原父異論曰如是則通經者未升於左學而詞賦者已在髙科矣事卒不行
新字:公為相議欲稍由学校進士命侍従儒臣講立法制太学諸生経明行修者由右学升左学由左学升上舎歳終択上舎中経行尤高者比及第人命之以官既簽同列奏独翰林欧陽永叔舎人劉原父異論曰如是則通経者未升於左学而詞賦者已在高科矣事卒不行
書き下し
公相と爲り、議して稍ミ學校に由りて士を進めんと欲す。侍從の儒臣に命じて法制を講じ立てしむ。太學の諸生、經に明らかに行い修まる者は、右學より左學に升り、左學より上舍に升る。歳終わりに上舍の中の經行尤も髙き者を擇び、及第の人に比して之に命ずるに官を以てす。既に同列と簽して奏す。獨り翰林歐陽永叔・舍人劉原父のみ異論して曰く、是くの如くんば則ち經に通ずる者未だ左學に升らずして、詞賦の者已に髙科に在らんと。事卒に行われず。
現代語訳
富弼は宰相となり、少しずつ学校を経て士を登用しようと議した。侍従の儒臣に命じて制度を講じ立てさせた。太学の学生で経書に明るく行いの修まった者は、右学から左学に上がり、左学から上舎に上がる。年の終わりに上舎の中で経学と行いのとりわけすぐれた者を選び、科挙及第の者に準じて官を授ける。すでに同僚と連署して奏上した。ただ翰林の欧陽脩と中書舎人の劉敞だけが異論を唱えて言った。「そのようであれば、経書に通じた者がまだ左学に上がらないうちに、詩賦の者はすでに上位で及第していることになります」。この件はついに実施されなかった。
解説
段階を踏んで人を育てて上げる制度案です。理念としては誰も反対しません。潰したのは、実務の一点でした。経書に通じた者がまだ左学に上がらないうちに、詩賦の者はすでに上位で及第していることになります。新しい道は時間がかかります。既存の速い道が残っているかぎり、遅いほうを選ぶ人はいなくなる。二つの経路が併存すると、丁寧なほうが負けるという指摘でした。この件はついに実施されなかった。
この章句が説くこと
議して稍ミ学校に由りて士を進めんと欲す右学より左学に升り左学より上舎に升る経に通ずる者未だ左学に升らずして詞賦の者已に高科に在らん事卒に行われず制度登用
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