宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
田晝者字承君陽翟人故樞密宣簡公姪也人物雄偉議論慷慨俱有前輩之風鄒浩志完教授頴昌與承君遊相樂也志完性懦因得承君故遇事輙自激厲
新字:田昼者字承君陽翟人故枢密宣簡公姪也人物雄偉議論慷慨倶有前輩之風鄒浩志完教授頴昌与承君遊相楽也志完性懦因得承君故遇事輙自激厲
書き下し
田晝なる者は、字は承君、陽翟の人、故の樞密宣簡公の姪なり。人物雄偉、議論慷慨、俱に前輩の風有り。鄒浩志完、頴昌に教授たり。承君と遊びて相い樂しむなり。志完性懦なり。承君を得たるに因るが故に、事に遇えば輒ち自ら激厲す。
現代語訳
田昼という人は、字を承君といい、陽翟の人で、亡き枢密の宣簡公の甥である。人物は堂々として、議論は情熱的で、いずれも先輩たちの気風を備えていた。鄒浩、字は志完は、頴昌の教授であった。田昼と交わって互いに楽しんだ。鄒浩は性質が気弱であった。だが田昼を得たことによって、事に出会うたびに自分を奮い立たせるようになった。
解説
この長い一条は、友人の紹介から始まります。まず田昼の側が描かれました。**人物は堂々として、議論は情熱的で。**そして鄒浩の弱点が、隠さずに書かれます。**鄒浩は性質が気弱であった。**気弱な人が、後に皇后擁立を諫めて流刑になります。その間をつないだのが交友でした。**だが田昼を得たことによって、事に出会うたびに自分を奮い立たせるようになった。**性格を変えたのではなく、そばに一人置いた、という書き方です。
この章句が説くこと
田昼なる者は字は承君陽翟の人故の枢密宣簡公の姪なり人物雄偉議論慷慨倶に前輩の風有り志完性懦なり承君を得たるに因るが故に事に遇えば輒ち自ら激厲す友人気質
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