宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
又嘗謂大臣以李固杜喬為本其弊猶恐為胡廣趙戒若以胡趙自處弊可知也
新字:又嘗謂大臣以李固杜喬為本其弊猶恐為胡広趙戒若以胡趙自処弊可知也
書き下し
又た嘗て謂う、大臣は李固・杜喬を以て本と爲すも、其の弊は猶お胡廣・趙戒と爲るを恐る。若し胡・趙を以て自ら處さば、弊知る可きなりと。
現代語訳
またかつて言った。「大臣たる者は、李固や杜喬を手本とするけれども、その崩れかたとしては、なお胡広や趙戒のようになることを恐れる。もし胡広や趙戒をもって自分の基準とするなら、崩れかたは推して知るべきである」。
解説
後漢の四人を並べただけの三十一字です。李固と杜喬は節を守って殺されました。胡広と趙戒は妥協して身を全うしました。韓琦の言い方はこうです。李固や杜喬を手本としても、崩れかたとしては胡広や趙戒のようになることを恐れる。最高を狙って、ようやく妥協の一歩手前で止まる。だから結論が出ます。もし胡広や趙戒をもって自分の基準とするなら、崩れかたは推して知るべきである。基準は実際に届く高さに置くのではなく、届かない高さに置く。目標と実態のあいだに、必ず落差が生まれるからです。
この章句が説くこと
大臣は李固杜喬を以て本と為す其の弊は猶お胡広趙戒と為るを恐る若し胡趙を以て自ら処さば弊知る可きなり基準目標堕落
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