宋名臣言行録 / 前集巻三・張詠
公在陳一日方食邸報至公且食且讀既而抵案慟哭者乆之哭止復彈指乆之彈止罵詈乆之乃丁謂逐萊公也公自知禍必及已乃延三大戸于便坐與之博䄂間出彩骰子勝其一坐乃買田宅為歸計以自汙晉公聞之亦不害也余謂此智者為之賢者不為也賢者有義而巳寧避禍哉禍豈可避耶
新字:公在陳一日方食邸報至公且食且読既而抵案慟哭者久之哭止復弾指久之弾止罵詈久之乃丁謂逐萊公也公自知禍必及已乃延三大戸于便坐与之博䄂間出彩骰子勝其一坐乃買田宅為帰計以自汚晋公聞之亦不害也余謂此智者為之賢者不為也賢者有義而巳寧避禍哉禍豈可避耶
書き下し
公、陳に在り。一日、方に食す。邸報至る。公且つ食らい且つ讀む。既にして案を抵ちて慟哭すること之を乆しくす。哭止みて復た彈指すること乆し。彈止みて罵詈すること乆し。乃ち丁謂の萊公を逐えばなり。公自ら禍いの必ず己に及ぶを知り、乃ち三大戸を便坐に延き、之と博す。䄂間より彩骰子を出だし、其の一坐に勝つ。乃ち田宅を買いて歸計と為し、以て自ら汙す。晉公之を聞きて亦た害せざるなり。余謂えらく、此れ智者は之を為し、賢者は為さざるなり。賢者は義有るのみ。寧んぞ禍いを避けんや。禍い豈に避く可けんや。
現代語訳
公が陳州にいた。ある日、ちょうど食事をしていた。官報が届いた。公は食べながら読んだ。ほどなく机を叩いて長いあいだ慟哭した。哭き止むと、こんどは長いあいだ指を弾いた。それが止むと、長いあいだ罵った。丁謂が寇準を追い落としたのである。公は禍いが必ず自分にも及ぶと知り、そこで三人の大商人を控えの間に招き、双六を打った。袖から彩色の賽を出して、その座で勝った。そして田や屋敷を買って隠居の支度とし、それで自分の身を汚した。丁謂はそれを聞いて、やはり害を加えなかった。私が思うに、これは智者のすることで、賢者のすることではない。賢者にはただ義があるだけだ。どうして禍いを避けようか。禍いはそもそも避けられるものだろうか。
解説
この章句が説くこと
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論語・為政篇子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは、諂いなり。義を見て為さざるは、勇無きなり。
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