宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
慶厯元年西方用兵巳六年矣上既厭兵而賊亦困□不得休息耕牧虜中疋布至十餘千元昊欲自致其道無由公慨然上疏曰陛下猶天地父母也豈與此犬豕豺狼較勝負乎願因今嵗郊赦引咎示信開其自新之路申敕邉吏勿絶其善意若猶不悛亦足以怒我而曲彼雖天地鬼神必將誅之仁宗喜曰是吾心也命公以疏付中書吕夷簡讀之拱手曰公之言及此是社稷之福也是嵗赦書開諭如公意明年十月始請降
新字:慶厯元年西方用兵巳六年矣上既厭兵而賊亦困□不得休息耕牧虜中疋布至十余千元昊欲自致其道無由公慨然上疏曰陛下猶天地父母也豈与此犬豕豺狼較勝負乎願因今歳郊赦引咎示信開其自新之路申勅邉吏勿絶其善意若猶不悛亦足以怒我而曲彼雖天地鬼神必将誅之仁宗喜曰是吾心也命公以疏付中書呂夷簡読之拱手曰公之言及此是社稷之福也是歳赦書開諭如公意明年十月始請降
書き下し
慶暦元年、西方の用兵已に六年なり。上既に兵を厭い、賊も亦た困□して休息を得ず。耕牧、虜中の疋布は十餘千に至る。元昊自ら致さんと欲するも、其の道由る無し。公慨然として上疏して曰く、陛下は猶お天地父母のごとし。豈に此の犬豕豺狼と勝負を較べんや。願わくは今歳の郊赦に因りて咎を引き信を示し、其の自新の路を開き、邊吏に申敕して其の善意を絶つ勿からしめよ。若し猶お悛めずんば、亦た以て我を怒らせ彼を曲とするに足る。天地鬼神と雖も必ず將に之を誅せんとすと。仁宗喜びて曰く、是れ吾が心なりと。公に命じて疏を中書に付せしむ。呂夷簡之を讀みて拱手して曰く、公の言の此に及ぶは是れ社稷の福なりと。是の歳の赦書は開諭すること公の意の如し。明年十月、始めて降を請う。
現代語訳
慶暦元年、西方の戦はすでに六年になっていた。天子はすでに戦を厭い、敵もまた疲れ〔一字を欠く〕て休むことができずにいた。耕作も放牧もままならず、敵地では布一疋が十余千に達した。元昊は自分から折れようとしたが、その道筋がなかった。張方平は憤然として上疏して言った。「陛下は天地であり父母のようなお方です。どうしてこの犬や豚、山犬や狼と勝ち負けを競われましょうか。どうか今年の郊祀の大赦にあわせて咎を自らに引き受け、信を示し、相手が改める道を開き、国境の役人に命じて、相手の善意を断ち切らないようにさせてください。もしそれでも改めなければ、それはそれで、こちらの怒りを正当にし、相手を非とするに足ります。天地の鬼神とても、必ずこれを誅するでしょう」。仁宗は喜んで言った。「これは私の心である」。張方平に命じて上疏を中書に回させた。呂夷簡はこれを読んで手を組んで言った。「公の言葉がここまで及ぶのは、社稷の福である」。その年の大赦の文書は、張方平の意のとおりに諭すものであった。翌年十月、はじめて降伏を願い出た。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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老子・第11章三十輻は一轂を共にす、其の無に当たりて、車の用有り。埴を埏ねて以て器と為す、其の無に当たりて、器の用有り。戸牖を鑿ちて以て室と為す、其の無に当たりて、室の用有り。故に有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。
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論語・顔淵篇子曰く、訟を聴くは、吾猶お人のごときなり。必ずや訟無からしめんか。
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孫子・九地篇能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革めて、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。
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論語・郷党篇公門に入るに、鞠躬如たり、容れられざるが如し。立つに門に中せず、行くに閾を履まず。位を過ぐれば、色勃如たり、足躩如たり、其の言うこと足らざる者に似たり。斉を摂げて堂に升るに、鞠躬如たり、気を屛めて息せざる者に似たり。出でて一等を降れば、顔色を逞くして、怡怡如たり。階を沒くして趨り進むこと、翼如たり。其の位に復れば、踧踖如たり。
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論語・郷党篇君子は紺緅を以て飾らず、紅紫は以て褻服と為さず。暑に当たりては、袗の絺綌、必ず表して之を出だす。緇衣には羔裘、素衣には麑裘、黄衣には狐裘。褻裘は長く、右袂を短くす。必ず寝衣有り、長さ一身有半。狐貉の厚きを以て居る。喪を去れば、佩びざる所無し。帷裳に非ざれば、必ず之を殺す。羔裘玄冠して、以て弔せず。吉月には、必ず朝服して朝す。
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孫子・九地篇孫子曰く、凡そ用兵の法は、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、圮地有り、囲地有り、死地有り。