宋名臣言行録 / 前集巻五・王曽
章獻明肅太后權處分軍國事聴斷儀式乆而未定公時判禮儀院乃采蔡邕獨斷所述東漢故事皇帝在左母后在右同殿埀簾中書樞宻院以次奏事如儀人心乃定
新字:章献明粛太后権処分軍国事聴断儀式久而未定公時判礼儀院乃采蔡邕独断所述東漢故事皇帝在左母后在右同殿埀簾中書枢密院以次奏事如儀人心乃定
書き下し
章獻明肅太后、權に軍國の事を處分す。聴斷の儀式、乆しくして未だ定まらず。公、時に禮儀院を判す。乃ち蔡邕の獨斷に述ぶる所の東漢の故事を采る。皇帝は左に在り、母后は右に在り、殿を同じくして簾を埀る。中書・樞宻院、次を以て事を奏すること儀の如し。人心乃ち定まる。
現代語訳
章献明粛太后が、かりに軍国の事を裁くことになった。裁決の儀式が、長らく定まらなかった。公は当時、礼儀院を担当していた。そこで蔡邕の『独断』が述べている後漢の先例を採った。皇帝が左に、母后が右に、同じ殿で簾を垂らす。中書省と枢密院が順に事を奏上することも、その儀式のとおりとした。人々の心はそこで落ち着いた。
解説
前の条で「権」の一字を守り、こちらでは座り方を決めた条です。皇帝が左、母后が右、同じ殿で簾を垂らす。後漢の先例を引いてきました。誰が上座かをあいまいにしたまま裁決が続けば、そのつど争いになります。形を決めたら人々の心はそこで落ち着いたとあります。形式は空虚だと言われがちですが、決まっていないこと自体が不安の元になる、という実例です。
この章句が説くこと
皇帝は左に在り母后は右に在り殿を同じくして簾を埀る聴断の儀式久しくして未だ定まらず聴断の儀式乆しくして未だ定まらず人心乃ち定まる儀式序列
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