宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
蔡確雖貶尚與章惇等自謂有定䇿功創造語言恐脅貴近公復言蔡確黄履邢恕章惇四人者在元豐之末號為死黨惇確執政倡之於内履為中丞與其僚属和之於外恕立其間往来傳送天下之事在其掌握聖上嗣位此實太皇太后聖慮深逺為宗廟社稷無窮之計彼四人者乃敢貪天之功以為已力伏望明正四凶之罪布吿天下除蔡確近巳貶竄外所有章惇黄履邢恕欲乞並行逐之逺方終身不齒由是三人亦皆得罪
新字:蔡確雖貶尚与章惇等自謂有定策功創造語言恐脅貴近公復言蔡確黄履邢恕章惇四人者在元豊之末号為死党惇確執政倡之於内履為中丞与其僚属和之於外恕立其間往来伝送天下之事在其掌握聖上嗣位此実太皇太后聖慮深遠為宗廟社稷無窮之計彼四人者乃敢貪天之功以為已力伏望明正四凶之罪布吿天下除蔡確近巳貶竄外所有章惇黄履邢恕欲乞並行逐之遠方終身不齒由是三人亦皆得罪
書き下し
蔡確貶せらると雖も、尚お章惇等と自ら定策の功有りと謂い、語言を創造して貴近を恐脅す。公復た言う、蔡確・黄履・邢恕・章惇の四人なる者は、元豐の末に在りて號して死黨と爲す。惇・確は執政にして之を内に倡え、履は中丞と爲りて其の僚属と之を外に和し、恕は其の間に立ちて往来傳送す。天下の事其の掌握に在り。聖上位を嗣ぐは、此れ實に太皇太后の聖慮深遠、宗廟社稷無窮の計を爲せばなり。彼の四人なる者、乃ち敢えて天の功を貪りて以て己の力と爲す。伏して望むらくは、明らかに四凶の罪を正し、天下に布吿せられんことを。蔡確近ごろ已に貶竄せらるるを除きて、有る所の章惇・黄履・邢恕は、並びに之を逐うて遠方にし、終身齒せざらんことを乞い欲す、と。是に由りて三人も亦た皆な罪を得たり。
現代語訳
蔡確は左遷されたものの、なお章惇らとともに、自分たちには天子を立てた功があると称し、言葉をこしらえて貴顕の側近たちを脅していた。劉安世はふたたび述べた。「蔡確・黄履・邢恕・章惇の四人は、元豊の末において死党と呼ばれておりました。章惇と蔡確は執政として内でこれを唱え、黄履は御史中丞となってその僚属とともに外でこれに和し、邢恕はそのあいだに立って往き来し取り次いだ。天下の事は彼らの手のうちにありました。聖上が位をお継ぎになったのは、実に太皇太后のお考えが深遠で、宗廟社稷の限りない計をなさったからです。ところがあの四人は、あろうことか天の功を貪って自分の力といたしました。伏して望みますのは、はっきりと四凶の罪を正し、天下に布告なさることです。蔡確はさきごろすでに流されておりますのでこれを除き、残る章惇・黄履・邢恕については、いずれも遠方へ追放し、生涯登用されないようにしていただきたいのです」。これによって三人もみな罪を得た。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世三省言う、蔡京、摯等の逆心を奏す。則ち其の一時黨附顯著の人、惡を同じくして相い濟すこと、豈に之無きを得んや。劉安世が常に禁中の乳母を雇う事を論じ、陛下已に女寵に親しむと謂い、又た經筵に御せざるを論じ、陛下已に酒色に惑うと謂うが如きは、聖躬を誣罔して章疏に形わす者、果して何の心ぞや。今摯は貶死し、廢は子孫に及ぶ。而して安世は問わず。罪罰科を殊にすること此くの如し。臣其の説を知らざるなり、と。詔して劉安世を梅州に移して安置す。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世宣仁后晏駕す。呂丞相陵下に使いす。范純仁奏して執政を除せんことを乞い、即ち李清臣を用いて中書侍郎と爲し、鄧温伯を尚書右丞と爲す。時に大臣卒に調停の説を用う。遂に李・鄧の除有り。二人皆な熙豐の黨にして、屢ミ元祐に攻めらる。乃ち先朝の事を以て上意を激怒せしむ。會ミ廷策の進士に、李・鄧策題を撰し、歷ミ元祐の政を詆り、新法を復するの意有り。從いて元祐の諸人を中傷す。公乃ち出でて常山に鎮す。未だ幾ばくならずして元豐の舊人悉く皆な收召せられ、遂に章惇を相とす。言者、公頃ミ蔡確を言うを以て、職を落として南安軍を知らしむ。而して呂丞相も亦た遠竄を免れず。乃ち深く公に媿づ。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世差除の際、公梁燾・朱光庭と每に極力爭論す。呂公之を病む。因りて熙豐の舊人鄧温伯を薦めて翰林承旨と爲す。意うに言官必ず爭わん、因りて以て之を逐わんとするなり。公言う、温伯は熙寧中、王安石・呂惠卿更ミ相い傾陷せしとき、温伯始終反覆して兩黨に出入す。又た蔡確に附きて之が爲に制を草し、其の定策の功有るを稱す、と。罷黜を行わんことを乞う。疏累ミ上るも報ぜられず。即ち疾を引きて告に在り、宮觀を陳乞す。乃ち集賢修撰・提舉西京崇福宮に除せらる。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・范祖禹諸黨相い攻めて已まず。正叔多く古禮を用う。子瞻其の人情に近からざること王介甫の如しと謂い、深く之を嫉み、或いは玩侮を加う。故に朱光庭・賈易平らかならず、皆な謗訕を以て子瞻を誣う。執政兩ながら之を平らぐ。是の時既に元豐の大臣を散地に退く。皆な怨みを銜みて骨に刻み、陰かに間隙を伺う。而して諸賢悟らず、自ら黨を分かちて相い毀る。紹聖の初めに至り、章惇相と爲り、同じく以て元祐の黨と爲し、盡く嶺海の外に竄す。哀れむ可きなり。呂微仲は秦人、戇直にして黨無し。范淳夫は蜀人、温公を師として黨を立てず。亦た竄逐して以て死するを免れず。尤も哀れむ可きなり。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世會ミ漢陽軍を知る呉處厚、蔡確が安州にて爲す所の謗詩を上る。公即ち論奏して曰く、確の詩十篇、多く譏訕に涉り、而して二篇尤も甚だし。唐を借りて喻と爲し、君親を謗訕す。滄海揚波の語に至りては、其の包藏する所尤も悖逆と爲す。蓋し□自ら齒髪方に盛んにして以て爲す有るに足ると謂い、意は他日時事變易するに在り、徼倖して復た用いられ、禍心を攄泄せんとするなり。此れにして舍く可くんば、國法廢せん、と。已にして蔡確光祿卿に責授せられ南京に分司す。公梁燾と同に疏を上りて力爭し、以爲えらく責命太だ輕く、未だ輿議に厭かず、と。疏十餘上りて、始めて確を新州に竄す。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世公時に喪を執る。服の闋くるを候たずして貶所に赴く。時に公貶所に在り。土豪の進納に緣りて以て仕に入る者有り。因りて厚貲を持して京に入り、以て惇に見えんことを求む。犀珠磊落、賄は僕□に及ぶ。久しくして見ゆるを得ず。其の人直ちに能く公を殺すを以て意を惇に達す。乃ち之に見ゆ。數日ならずして薦めて殿に上らしめ、選人より秩を改め、本路の轉運判官に除す。