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宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石

大凡人臣身上豈有過分之事凡有所為皆是臣職所當為之事也介甫平居事親最孝觀其言如此其事親之際想亦洋洋自得以為孝有餘也臣子身上皆無過分事惟是孟子知之説曾子只言事親若曾子可矣不言有餘只言可矣

新字:大凡人臣身上豈有過分之事凡有所為皆是臣職所当為之事也介甫平居事親最孝観其言如此其事親之際想亦洋洋自得以為孝有余也臣子身上皆無過分事惟是孟子知之説曽子只言事親若曽子可矣不言有余只言可矣

書き下し

大凡そ人臣の身上、豈に過分の事有らんや。凡そ爲す所有るは皆是れ臣職の當に爲すべき所の事なり。介甫は平居親に事うること最も孝なり。其の言を觀るに此くの如し。其の親に事うるの際、想うに亦た洋洋自得して以て孝に餘り有りと爲さん。臣子の身上には皆過分の事無し。惟だ是れ孟子のみ之を知る。曾子を説くに只だ、親に事うること曾子の若くんば可なりと言い、餘り有りとは言わず。只だ可なりと言うのみ。

現代語訳

およそ臣下の身の上に、分に過ぎた行いなどというものがあろうか。およそ行うところはみな、臣下の職分として当然なすべきことである。王安石はふだん、親に仕えることが最も孝であった。その言葉を見るとこのとおりである。親に仕えるときも、おそらく得意満面で、孝には余りがあると思っていただろう。臣下の身の上には、分に過ぎたことなどない。ただ孟子だけがこれを知っていた。曾子について説くのに、ただ「親に仕えること曾子のようであれば、それでよい」と言い、余りがあるとは言わなかった。ただ「それでよい」と言うだけであった。

解説

前の段の批判を、原理にまとめています。**およそ臣下の身の上に、分に過ぎた行いなどというものがあろうか。およそ行うところはみな、臣下の職分として当然なすべきことである。**やって当然のことだから、余りは出ない。余りがあると感じた時点で、職分より上に立っている。そして家庭での孝行にまで同じ物差しを当てました。**親に仕えるときも、おそらく得意満面で、孝には余りがあると思っていただろう。**締めは孟子の言葉づかいです。**ただ「それでよい」と言うだけであった。**

この章句が説くこと

大凡そ人臣の身上豈に過分の事有らんや凡そ為す所有るは皆是れ臣職の当に為すべき所の事なり其の親に事うるの際想うに亦た洋洋自得して以て孝に余り有りと為さん曽子を説くに只だ親に事うること曽子の若くんば可なりと言い余り有りとは言わず職分過分

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